寝るのに用いる用具の総称。ふとん、夜着、かい巻、毛布、タオルケット、枕(まくら)、敷布、寝巻、蚊帳(かや)、マットレス、ベッドそして、ハンモックやシュラーフザックなど、寝るために必要なものすべてが寝具に含まれる。夜具ともいう。
[藤本やす]
寝具の中心になっているものは、ふとんである。ふとんには敷きぶとん、掛けぶとんの別があり、大きさ、仕立て方による種類がある。大きさは現在JIS(ジス)規格により統一されている。ふとんの長さは、敷きぶとん、掛けぶとんともに190~210センチメートル。身長にあわせて丈を定める。敷きぶとんの幅は三布(みの)(102センチメートル)と四布(よの)(135センチメートル)とがある。関東式は三布ふとん引返し仕立て、関西式は四布ふとん鏡仕立てであるが、最近は全国的に三布引返し仕立てを用いている。掛けぶとんの幅は五布(いつの)(175センチメートル)、四布半(150センチメートル)、四布(135センチメートル)の種類がある。以前は五布ふとんが用いられたが、今日では四布半のふとんが多く用いられている。
夜具一組は敷きぶとん2枚・夜着1枚・掛けぶとん1枚、敷きぶとん2枚・掛けぶとん2枚、敷きぶとん1枚・マットレス1枚・掛けぶとん1枚など各種の組合せをする。体熱は掛けぶとんより敷きぶとんから失われやすいから、敷きぶとんを厚くし、掛けぶとんは薄く軽くすると、保温効果が大きく、寝心地がよい。
ふとんは、1日の疲れをいやし、十分な睡眠がとれるよう、次のような条件を備えていなければならない。保温性があること、吸湿・透湿性があること、軽くて柔らかいこと、取扱いが容易で衛生的であること、耐久性があり経済的であることなどである。これらの条件を備えたうえで、自由に色彩やデザインに配慮する。ふとん地は青梅(おうめ)夜具地、更紗(さらさ)、八端(はったん)など綿織物、絹織物、ほかに化合繊の織物があるが、汗を吸い取る綿織物がもっともよい。夏掛け用には麻、縮(ちぢみ)を用いる。
ふとんの詰め物(充填(じゅうてん)材)は、敷きぶとんには保温性、弾力性に富み、吸湿・透湿性に優れている木綿綿(もめんわた)がもっぱら用いられる。掛けぶとんには木綿綿のほかに羽毛、絹綿、羊毛綿、また新しく開発された合成綿が用いられている。合成綿は、軽くて暖かい長所をもっているが、熱に弱い欠点があり、湯たんぽ、こたつなどを使用するときは、直接ふとんに触れないように注意し、熱による変質を防ぐ必要がある。
マットレスには、天然ゴムを泡立てて固めたフォームラバーや、これにかわって合成樹脂でつくられたポリウレタンフォームなどがある。いずれも保温性はあるが、吸湿・透湿性が少ないので、木綿綿の敷きぶとんの下に併用するほうがよい。なお熱や直射日光に当てると老化しやすい欠点がある。
夜着、かい巻は、衿(えり)、袖(そで)のついた夜具用の綿入れで、体になじみ、肩からのすきま風を防ぐので肩の保温に適しているが、一般に使用されなくなってきている。これは、製作に技術を要するために製作者が少なくなっていることと、簡便な毛布の利用が多くなったためである。最近、毛布で肩を覆う夜着風に手を加えたものもできている。婚礼用の組み夜具には、現在も夜着またはかい巻がつくられている。
毛布は紡毛糸や綿混紡糸を用いたもので、毛足があるため、含気量が多く保温性に富む。毛足を寝かせないように手入れをする必要がある。今日では暖かく軽い合繊の毛布が多く用いられるようになった。これには吸湿性のある綿織物でカバーをするとよい。
タオルケットは綿、化繊など厚手のタオル地でつくられ、おもに夏掛け用として用いる。綿のタオルケットは、化合繊の掛けぶとんの下に四季を通して用いられる。
枕は括枕(くくりまくら)系のものが用いられ、中にはそば殻、小豆(あずき)、綿(わた)、パンヤ、フォームなどが用いられる。夏用に籐(とう)製、陶製などがあり、古くからいわれている頭寒足熱に対応するくふうがなされている。
敷布には綿織物が適当である。夏季用に綿縮(めんちぢみ)や麻織物が用いられる。夏の蒸し暑い夜には寝茣蓙(ねござ)が用いられる。冬の敷布としては、綿・化繊混紡の厚手の織物を起毛したフラノ風のものも用いられている。
カバーには、ふとんカバー、毛布カバー、枕カバー、ベッドカバーなどがあり、衛生面ばかりでなく、装飾を兼ねたものもある。布地はキャラコ、天竺(てんじく)、ブロードなど、洗濯に耐える綿織物が適当である。既製品のカバーの寸法はJIS規格にあわせてつくられている。ふとん・毛布カバーの形状は、袋状のものと額縁式のものとがある。ふとん、毛布などの出し入れに便利なように、ファスナーまたはスナップをつける。枕のカバーは覆い式と袋式とがあり、大きめにつくる。ベッドカバーは、ベッドに掛ける覆い布をいい、室内装飾の面からも家具やカーテンなどとの配色、デザインなどを考えてつくる。
寝巻には、和服形と洋服形とがある。直接肌につけるから、肌着と上着を兼ね備えたもので、洗濯にじょうぶなものがよく、綿織物が適当である。
蚊帳には、和室の座敷用蚊帳、洋式ベッド用蚊帳、子供の昼寝用の幌(ほろ)蚊帳がある。材料は麻、綿などが用いられ、色は白、浅葱(あさぎ)、緑などで、夏の風物の一つであったが、最近下水道の発達によってカの発生がほとんどなくなり、需要が減少している。
ベッドは西洋式寝台で、日本では最初に病院や軍隊で使用された。ホテルの出現により一般の人々の生活と接触するようになり、家庭にも徐々に用いられるようになってきている。初期はスプリングが軟らかく高さも高かったが、人間工学的研究により高さと弾性とが日本人向きに改良されて、今日に至っている。ベッドのスプリングは、独立したばねを連繋(れんけい)した連繋式と、ばねを鉄線で結んだ連結式とがある。ばねの金属がさびたり変形することがあるので注意を要する。ベッドの大きさには、シングルとダブルの2種があり、シングルは幅1メートル、長さ2メートル、ダブルは幅1.4メートル、長さ2メートルである。セミダブルは幅1.26メートル、長さ2メートル。
[藤本やす]
寝具は歴史上から、敷く物、掛ける物、枕とからなっている。古代においては住居形式から、多くの人は土間の板敷きの上にごろ寝をしたり、菰(薦)(こも)や筵(蓆)(むしろ)を敷いてその上に横になり、1日の疲れをいやしていたようである。一般には筵のほうが多く用いられていた。各種の絵画にみられる使い慣れた筵を敷き、また上にかけて手枕をして休んでいる姿から、当時の庶民の生活の一端をうかがうことができる。なかには稲藁(いねわら)を敷いたり、毛皮を敷いたりして横になっている者もいた。枕は草枕、薦(こも)枕、菅(すが)枕、柘(しゃ)の小枕、籐枕、木枕、石枕など、また括枕のようなものなどが用いられた。
宮中でも、筵(蓆)はなくてはならないものであったようである。綾蓆(あやむしろ)、狭(さ)蓆、竜鬢(りゅうびん)蓆、稲(いな)蓆などがあり、律令(りつりょう)制のなかに筵打ちに携わる者が編入されている。出雲筵(いずもむしろ)、葛野(くずの)筵、周防(すおう)筵、若狭(わかさ)筵、東(あずま)筵など、産地名をつけて庶民より貢納されていた。薦(こも)はイネ科のマコモでつくられ、ほかに菅薦(かんせん)、葉薦(ようせん)、茅簀薦(ぼうさくせん)などがあった。
庶民は下着のままか、裸のままで寝て、上には昼間着ていた上着をかけていた。この就寝の方法は20世紀の初めごろまで行われていた。貴族、豪族の屋敷や大寺院の住居には畳が用いられていた。畳は今日いうようなものではなく、薦や筵のようなものであった。筵の材料は藁が多く、藺(い)、蒲(がま)、竹などが用いられた。畳は菅畳(すがだたみ)、皮畳、絹畳など、材料による区分がなされた。9世紀ごろ、人が寝るのに適当な幅や長さのものがこしらえられた。これが畳といわれる敷物で、昼はその上に円座を敷いて座し、夜は寝具に用いられていた。庶民の家には畳はなかった。
正倉院宝物のなかにある枕、衾(ふすま)、畳はわが国最古の遺品である。また聖武(しょうむ)天皇(在位724~749)の御床は、わが国における最古の寝台である。古代の寝台は天皇、皇后などきわめて限定された身分の人たちに用いられた。日本では寝台はその後ほとんど発展しなかったが、16世紀、豊臣(とよとみ)秀吉が大坂城内で用いているのをみることができる。
平安時代の貴族は、床の上に畳二つを並べてその上に御帳(みちょう)を立てて寝所をつくり、内部に茵(褥)(しとね)を敷き、枕をあてがい、衾をかけて休んだ。衾は掛けぶとんに相当し、衿や袖のついた直垂衾(ひたたれぶすま)、袿(うちき)、宿直物(とのいもの)などを用いている。当時男子は、寝るときも頭に烏帽子(えぼし)をつけていた。この就寝のようすは、『源氏物語絵巻』『北野天神縁起絵巻』などの絵巻物にみることができる。
中世の絵巻『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』には御帳の姿は消えており、主人たちは畳の上に上筵を敷いて寝ている。上筵は綾絹(あやぎぬ)とか畳表を面(おもて)にして、四方を錦(にしき)で縁どりをしたもので、なかには主として綿(わた)、絹綿を入れたものが用いられた。これが一般化して用いられるようになったのは、鎌倉時代から室町時代である。
近世において木綿綿の普及により、直垂衾から発展した夜着とふとんが用いられるようになって、今日に至っている。
夜着は夜寝るときに着るもので、宿直物が改められ、これをもっぱら用いるようになったのは慶長(けいちょう)・元和(げんな)(1596~1624)以後である。これ以前は小寝衣といって裳(も)の衣服より少し大きいものを着て、その上に衾をかぶって寝ていた。衾は臥裳(ふすも)の意で、寝るとき身を覆うものである。のちにはふとんといわれているものである。多くは絹綾などでつくり、長さ8尺(約240センチメートル)、広さ八布あるいは五布で、首のほうには紅(くれない)の練糸(ねりいと)を太く撚(よ)って二筋並べ横に縫い、今日いう枕上の印とした。紙衾(かみぶすま)は和紙でこしらえた衾で、軽く、暖かく、安価で、じょうぶであることなどから、古く民間で多く用いられた。産地は奥州仙台、駿河(するが)安倍川(あべかわ)であった。旅などには、簡単で持ち歩きに便利なため重宝された。江戸時代、江戸では紙衾を天徳寺(てんとくじ)といって、江戸中期ごろまで行商していた者があったが、のちにはとだえた。
[藤本やす]
『小川光暘著『寝所と寝具の歴史』(1973・雄山閣出版)』
就寝の様式によって寝具の種類および用具は異なるが,寝具には敷具,掛具と枕や敷布,携帯式寝具であるハンモックやシュラーフザック(寝袋)など,また就寝時の環境を整える具として蚊帳(屋)などが含まれる。ここでは主として敷具と掛具について述べる。
敷具のもっとも古いものは薦(こも)と蓆(筵)(むしろ)である。材料は菰(こも),稲,菅(すげ),蒲(がま),萱(かや),藺(い)などで,最初は一重に編んで用いた。やがてこれを何枚か重ねて綴じつけ,縁をつけた畳となった。〈たたみ〉とは積み重ねることを意味している。奈良時代から平安時代にかけての畳は長さ7,8尺ぐらい,幅3,4尺ぐらいで,薦4,5枚を重ねた上に藺や菅の蓆をかぶせ,縁をつけたものであった。そしてこの上にさらに褥(しとね)を敷いた。褥は上蓆(うわむしろ)ともよばれるが,絹織物または藺蓆を表に,真綿や菅を芯にして四周に縁をつけたものである。掛具は衾(被)(ふすま)とよばれた。伏(ふ)す裳(も),つまり寝るときの衣服という意味である。古くは敷具と同様,薦や蓆が使われたが,奈良時代ごろからは苧衾(むしふすま),栲衾(たくぶすま),麻衾(あさぶすま)などが使われるようになった。また斑衾(まだらふすま)といい,真綿を入れた絹製の高級品もある。長方形で長さ8,9尺,幅4,5尺,上蓆と同様四周に縁をつけてある。これらに対し平安末から鎌倉にかけて衿や袖のある直垂衾(ひたたれふすま)が出現した。直垂とは広い衿と袖のついた衣服で,平安時代には庶民が,中世には武士が着た。この形に似ているため名付けられたものである。またこれは宿直物(とのいのもの)ともよばれた。しかしこうした掛具を使わず,昼間着ていた衣服を掛けて寝ることも多かった。この場合,二人寝のときはたがいの袖を掛けあって寝,一人寝のときは片袖だけ脱ぎ,脱いだ袖を身体の下に敷いて衣服で身体をくるむようにした。これを衣片敷(ころもかたしき)という。寝るときの掛物を〈よかぶり〉というのも,常の着物をかぶって寝たことのなごりであり,〈ねまき〉も寝るときまとうものの意で,〈寝間着〉は後のあて字であろう。
室町時代に入ると,木綿の出現により寝具のうえで一大革命が起きる。まず最初は綿花をそのまま詰物として用い,やがて綿織物が出てくると側(がわ)も木綿を使った寝具が作られるようになった。呼名も上蓆が蒲団(布団)(ふとん)に,衾が夜着(よぎ)に変わった。しかし室町時代は,まだ木綿の寝具は大変な貴重品であった。江戸時代に入ると紡績技術が発達し綿織物が普及してくるため,元禄(1688-1704)ごろから側も中身も木綿を使った寝具が普及し始めた。また夜着を小型にした搔巻(かいまき)も作られた。さらに幕末になると,衿,袖のつかない長方形の夜着が生まれた。これは四周に額縁のような縁をつけたもので,敷具の蒲団と同じ形であるために(幕末までは敷蒲団も上蓆と同じ額縁つきの形であった),夜着とよばず掛蒲団とか大蒲団とよび,敷くほうは敷蒲団とよぶようになった。しかし実際にはこうした寝具を使えたのはごく一部で,大部分の農村では薦や蓆,藁(わら),藁叺(わらかます),籾殻,山村ではマダ(科(しな))の樹皮や籐,苧屑(おくそ)を詰めた夜衾,また漁村では海草を麻袋に詰めるといった,原始時代以来の寝具が使われていた。都市でも紙衾を使っていた人は多い。これには,和紙で大袋を作り,中に藁しべを入れたもの,厚い和紙に渋をひき,もんで柔らかくしたものなどがあった。また蒲団を買うための蒲団頼母子講(たのもしこう)というものも各地で行われている。したがって木綿綿の入った蒲団が本当に普及するのは,大正末から昭和に入ってからである。
明治に入ると,一部の上層階級ではベッドが使用されるようになった。ベッド用寝具はマットレス(藁蒲団),パット(薄い敷蒲団),毛布,敷布,寝台掛,枕などである。これらがやがて日本風の寝具の中にとり入れられるようになって,大正から昭和にかけてしだいに一般の人々も敷布や毛布を使い始めた。第2次大戦後,寝具はふたたび大きく変わった。素材として化学繊維が登場し,化繊綿や,化繊や合成繊維の側も使われるようになった。また従来は主として各家庭で作っていたものが工場生産に変わった。このためキルティングによって側と中身を定着するようになり,洋掛とか洋蒲団とよばれた。また敷蒲団の下に合成ゴム,フォーム・ラバーのマットレスを敷くようにもなった。
→毛布
執筆者:小泉 和子
ベッド(寝台)は古代エジプト,アッシリアの時代から用いられていたが,貧民は床に布団を敷いて寝たことが聖書にあらわれている。エジプトのベッドをみると,長い枕敷bolsterまたは枕を備えているが,なかには石,木または金属製の半円筒形の頭をのせる台のついたものもある。アッシリア,ペルシアのベッドもだいたい同じであった。ギリシアでは初期には木製の寝台の枠に布または皮の紐を張り,頭部には板をつけ,その上に毛皮の布団を敷いたが,末期には枕と掛布団にぜいたくなものが現れ,ミレトス,コリントス,カルタゴなどがその産地として有名になった。ローマ人は頭部に小さいクッション(布団)を用い,敷布団に葦,枯草,羊毛などを詰めるようになった。ローマ共和政の末期には万事がぜいたくになって羽毛を入れた敷布団を用いるようになったが,一般民は敷布団もシーツもなく,2枚の掛布をベッドに敷き,その中にもぐって寝た。また富裕階級は羽根布団を何枚も重ねて用いたので,ベッドに入るにはポータブルの踏台を必要とし,ベッドを整えるのにしばしば2人を要した。この風習は各地で19世紀の半ばころまでつづいた。旅行の際に羽根布団を運んでゆく風習もあった。ギリシア,ローマの南ヨーロッパの風俗とちがって,古代ドイツなどの北国では草を敷いた寝台に毛皮を敷くか,浅い箱に草や藁を詰めたベッドに寝た。
中世の初期には床に敷物を敷くか,壁際の長椅子に獣毛,羊毛,羽毛を詰めた布団を敷き,毛皮を掛けて寝た。たいてい裸体で寝たので,敷布団の上に敷いた大型のリンネルのシーツにくるまって寝たが,貧民や使用人は床に敷いた藺草の類の上に昼間の衣服のままごろ寝した。この藺草は毎年1~4回しか取り替えなかったのできわめて不潔であったし,犬や家畜がかってに入りこんだので,室内のテーブルの上で寝る者もあった。比較的文化の高かった14世紀のフィレンツェの状態でさえ上記のようであった。13世紀ころに折りたたみのベッドができ,昼間は絹で包んだ皮のクッションをのせて寝椅子に使い,夜はリンネルのシーツを敷いて枕をおき,絹で包んだ皮の掛布団を用いた。12世紀の記録によるとベッドに象嵌(ぞうがん)や彫刻や彩色が加えられ,それに調和させるために,刺繡した敷布団や掛布団が用いられた。13世紀のフランスではたくさんのクッションを重ねて身体を傾斜させるようになった。14世紀になるとベッドがぜいたくな上掛けですっかりおおわれたのでベッド自体の装飾は重要でなくなった。15世紀にはベッドが大きくなり,6フィート×7フィート(1フィート=30.48cm)ないし7フィート×8フィートになったので,敷布団にはもっぱら豆殻や藁が詰められた。当時の貴族は旅行のとき,所有物の大部分を持っていったので,ベッドも寝具もその中に入っていた。ベッドや家具は高価であったので,フランスのアンリ4世の宮廷のように外国の使臣を泊めるときには,それらのものを持ってこさせたこともあった。18世紀にドイツではじめて羽毛を詰めた掛布団が用いられて流行となった。
執筆者:春山 行夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…橘屋の家財道具を大別すると,(1)神棚,仏壇関係,(2)台所用品,(3)畳,むしろなど,(4)傘,下駄の類,となろう。この橘屋の家財道具で気づくことは枕を除くと寝具がないことである。他の借屋人の家財道具をみても,橘屋と同じく寝具をもっていない家が多い。…
…この物質はノンレム睡眠,レム睡眠をひき起こす作用がある。 深く眠るには寝具についての配慮も必要である。自由に寝返りがうてるやや硬めの敷布団と軽い掛布団が好ましい。…
※「寝具」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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