詩人、小説家。本名照道。明治22年8月1日、金沢市裏千日町に、旧加賀藩士小畠弥左衛門吉種と女中ハルの間に生まれる。生後まもなく赤井ハツにもらわれ、その私生児として届けられた。ハツは雨宝院の住職室生真乗の内縁の妻で、犀星は7歳のとき真乗の養嗣子(しし)となり、室生姓を名のる。9歳で実父が死ぬとともに実母は行方不明となる。12歳のとき、母の命により、金沢高等小学校3年で中退、裁判所の給仕となる。上司に交わって俳句を詠み、さらに詩を『新声』に投稿する。金石(かないわ)登記所に配転されたのち、20歳の秋、詩人を志して職を辞す。この間のことはのちに『幼年時代』『性に眼(め)覚める頃(ころ)』(ともに1919)に書かれる。地方新聞の記者として転々したのち上京するが、生活できずに帰郷すること2回。1912年(大正1)秋から詩が認められ、翌年は北原白秋主宰の『朱欒(ザムボア)』に1月から5月廃刊まで毎号掲載される。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と歌う「小景異情」は5月に発表され、初期叙情詩を代表するものである。このとき萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)から手紙をもらい、以後親交を結ぶ。これらの詩はのちに『抒情(じょじょう)小曲集』(1918)に収められた。16年朔太郎および山村暮鳥(ぼちょう)とともに詩誌『感情』を創刊する。白秋は、「自然の儘(まま)で、稚(おさな)い、それでも銀の柔毛(にこげ)を持つた栗(くり)の若葉のやうに単純な、感傷家(センチメンタリスト)」とたたえた。『愛の詩集』(1918)では、求道的な口語詩もみられる。『幼年時代』以後、小説家としても認められ、ことに『あにいもうと』(1934)以後は市井鬼ものとよばれる作品を書き、巷(ちまた)に真剣に生きる野性的な人間の生命を描き出した。太平洋戦争中は『泥雀の歌』(1942)などの自伝的作品や、『つくしこひしの歌』(1939)などの王朝ものを書いていた。戦後、随筆『女ひと』(1955)が好評を博してふたたび活発な活動に入る。自分と娘を描いた『杏(あんず)っ子』(1957)では読売文学賞を受賞。王朝ものの『かげろふの日記遺文』(1958)では野間文芸賞を受賞した。この間、詩もつくり続け、詩集も『忘春詩集』(1922)、『鶴(つる)』(1928)、『鉄(くろがね)集』(1932)、『美以久佐(みいくさ)』(1942)など数多い。不幸な生い立ちのなかに生きる道を求めるところから出発して、ことに晩年は、女性を見つめて深い人生をみいだしている。昭和37年3月26日死去。墓地は金沢市野田山にあり、石川近代文学館は犀星の生涯をしのぶ展示をしている。
[鳥居邦朗]
『『室生犀星全集』12巻・別巻2(1964~65・新潮社)』▽『『室生犀星全詩集』全3巻(1978・冬樹社)』▽『中野重治著『室生犀星』(1968・筑摩書房)』
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大正・昭和期の詩人,小説家
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詩人,小説家。金沢市生れ。本名照道。生後まもなく貰い子に出され,高等小学校を中退して金沢地方裁判所に給仕として勤めるうちに,上司らに俳句を指導され,やがて詩人を志す。退職して上京・帰郷を繰り返すが《青き魚を釣る人》(1912)あたりから初期抒情詩の花が開く。〈ふるさとは遠きにありて思ふもの〉の詩句で知られる《小景異情》(1913)などが続々発表され,のちに《抒情小曲集》(1918)にまとめられた。この間,同じく無名であった萩原朔太郎と親交を結び,詩誌《感情》(1916-19)を刊行するなど,互いに影響を受けあいながら,近代詩の完成に大きな役割を果たした。《愛の詩集》(1918)の時代を経たあと,自伝的小説《幼年時代》《性に眼覚める頃》(1919)を発表して一躍小説家としても認められる。生まれたままの素朴で一途な抒情が,人生への真率な態度となっていく過程が見られる。昭和に入って《あにいもうと》(1934)は,野性的な人間の生きる姿を描いて一転機となった。いわゆる〈市井鬼もの〉による犀星の復活が言われた。戦中は王朝に材を得た小説を書いていたが,それはやがて《かげろふの日記遺文》(1959)に結実する。生母への思慕と義母への愛憎から発して,犀星は女性を深く愛する作家となったと言える。みずからの生い立ちから娘への愛情までを書いた《杏っ子(あんずつこ)》(1957)はその意味で代表作である。
執筆者:鳥居 邦朗
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1889.8.1~1962.3.26
大正・昭和期の詩人・小説家。本名照道。石川県出身。私生児に生まれ,寺の子として育つ。上京して貧窮・無頼生活のなかで詩作に励み,萩原朔太郎(さくたろう)と強い友情で結ばれた。1918年(大正7)直截な新しい表現の「愛の詩集」「抒情小曲集」を刊行。翌年に抒情詩的小説「幼年時代」「性に目覚める頃」などを発表。やがて市井鬼もので下層社会に生きる人々を描く。第2次大戦後の作に自伝的な「杏(あんず)つ子」,前衛的な「蜜のあはれ」がある。
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…室生犀星の第2詩集。1918年(大正7)9月感情詩社より刊行。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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