小室信介 (こむろしんすけ)
生没年:1852-85(嘉永5-明治18)
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小室信介【こむろしんすけ】
自由民権運動家。丹後(たんご)国出身。小室信夫の養子。《大阪日報》《京都日日新聞》などで民権論を唱え,各地に遊説。かたわら農民闘争の事跡を集め《東洋民権百家伝》を刊行(1883年―1884年)。案外堂主人と号し,政治小説や戯曲も執筆。甲申政変直後の1885年特派全権大使井上馨に従い朝鮮に渡り,現地を視察して東亜問題の急を唱えたが帰国後病没。
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小室信介
没年:明治18.8.25(1885)
生年:嘉永5.7.21(1852.9.4)
明治前期の民権派ジャーナリスト。丹後国(京都府)宮津藩の砲術家小笠原忠四郎の次男。号は案外堂。京都に遊学し漢学を学ぶ。明治5(1872)年京都府の小学教員となるが,8年帰郷して天橋義塾を設立。9年小室信夫の長女幸子と結婚。小室姓になる。12年『大阪日報』に入社。次いで立憲政党幹事,自由新聞社員として民権運動に尽力するかたわら,百姓一揆指導者のほりおこしに取り組み,『東洋民権百家伝』(1883)などを刊行。また政治小説も執筆した。17年末,井上馨に随行して朝鮮に赴くが翌年帰国中に病死。<参考文献>季刊『郷土と美術』84号(小室信介紀念号)
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小室信介 こむろ-しんすけ
1852-1885 明治時代の新聞人。
嘉永(かえい)5年7月21日生まれ。明治11年「京都日日新聞」の編集にくわわり,12年大阪日報に入社,のち社長。星亨(とおる)に師事し,自由党員として活躍。明治18年8月25日死去。34歳。丹後(京都府)出身。慶応義塾中退。旧姓は小笠原。号は案外堂。著作に「東洋民権百家伝」など。
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