幕末~明治期の駐日イギリス外交官で、日本文化研究の先駆者の一人。佐藤愛之助の日本名と薩道(サットー)の雅号をもつ。6月30日ロンドンに生まれる。ローレンス・オリファントの著書を読んで日本にあこがれをもち、ユニバーシティ・カレッジ卒業後、外務省通訳生となり、日本駐在を命じられ、1862年(文久2)着任。1866年(慶応2)外字新聞『ジャパン・タイムス』に匿名の論説English policy「英国策論」を発表、朝廷の下に幕府、諸雄藩の連合政権を樹立することが望ましいと論じた。この論説は、幕府を日本の責任政府とみなす従来の対日政策に修正を加えるもので、すでに前任公使オールコックがとりつつあった修正路線を継承したものである。その判断は、政局の不安、通商の阻害を招いている原因が、貿易の利益にあずかりたい諸藩の希望を封ずる幕府の貿易独占にあるとの見解に基づいていた。この論説によってサトーは、倒幕派の指導者たちに好感をもって迎えられ、やがて西郷吉之助(きちのすけ)(のちの西郷隆盛)や桂小五郎(かつらこごろう)(のちの木戸孝允)ら薩長の指導者と交流、倒幕を教唆するに至るが、新任公使パークスは黙認していた。1868年(明治1)書記官に任ぜられる。王政復古後は、明治新政府と密接な連絡を保ち、戊辰(ぼしん)戦争では列国に局外中立を要望する良策を助言した。1883年日本を去り、シャム、モロッコ駐在代表を経て、1895年日清(にっしん)戦争直後の日本に全権公使として赴任。極東でロシアの進出防止を図るイギリスの立場から日英提携に尽力、1900年(明治33)、駐清(しん)全権大使に転じたのちも、引き続き日英同盟締結に貢献した。この間日本、東洋に関する優れた研究業績をあげ、神道(しんとう)・仏教研究、イエズス会布教研究など、多数の論著で学位を取得、サーの称号を与えられたが、とくに『一外交官の見た明治維新』A Diplomat in Japan(1921・岩波文庫)は、幕末維新の政局変動を知るうえに貴重な記録である。1929年8月29日没。
[田中時彦]
イギリスの外交官。ロンドンに生まれ,ユニバーシティ・カレッジに学び,1861年8月,日本の領事部門に勤務する通訳生としてイギリス外務省に入省。その後約4ヵ月の北京滞在を経て,62年9月(文久2年8月)横浜着。生麦事件勃発の6日前であった。それから第1回の賜暇で帰国する69年2月(明治2年1月)までの経歴は,サトー自身の回想録《一外交官の見た明治維新A Diplomat in Japan》(1921)にくわしい。この時期のサトーについて特筆すべきことは,第1に,日本語を自在に駆使する外交官の先駆者となったこと,第2に,倒幕勢力との幅広い接触を通して,豊富な情報を入手し,イギリスの駐日公使,とくにパークスの対日政策の樹立を助けたこと,第3に,《英国策論》(元来無署名で,1866年に横浜の英字週刊紙《The Japan Times》に3回に分けて掲載)を通して,日本の政治体制は天皇を元首とする諸侯連合であり,将軍は諸侯連合の首席にすぎないことを主張し,幕府の権威失墜に手を貸したことであろう。70年に賜暇を終えて日本に帰ったサトーは,その後82年まで日本勤務をつづけた。84年,バンコク駐在総領事に任命され,まもなく公使に昇格し,つづいてモンテビデオ(ウルグアイ),タンジール(モロッコ)駐在を経て,95年7月,日清戦争と三国干渉直後の日本に公使として帰任した。1900年,駐清公使に転じ,義和団事件の事後処理にあたった。06年,駐清公使を最後に外交官生活から隠退し,帰国後はデボンシャーの小村オタリー・セント・メリーに住み,29年,86歳の高齢で世を去った。学者,外交官のサトーに著述は多いが,日本研究では《日本耶蘇会刊行書志The Jesuit Mission Press in Japan,1591-1610》(1888),外交史の研究では1917年に初版が刊行され,現在改訂第5版が出ている《外交実務案内Satow's Guide to Diplomatic Practice》(1979)が代表的なものである。その子武田久吉(1883-1972)は植物学者で,小島烏水らと日本山岳会を創設,尾瀬沼の保護につとめたことで知られる。
執筆者:萩原 延壽
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…例えば戸田渡し場では,〈御関所川渡場番所相勤候分〉として人足数が記載されており,また高札には〈女人手負其外不審成ものは,いづれの舟場にても留置,早々至江戸可申上候事〉など,関所機能をもっていることを実証づけている。またイギリスの外交官アーネスト・サトーは川崎の六郷川を渡るとき,〈われわれはがんこな渡し場の船頭にぶつかって手間取った〉と記している。このように近世の渡しは,幕藩体制を支える重要な政治政策の一つでもあった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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