小松神社(読み)こまつじんじや

日本歴史地名大系 「小松神社」の解説

小松神社
こまつじんじや

[現在地名]羽生市小松

祭神は伊弉諾命・伊弉冉命、旧郷社。天和二年(一六八二)鋳造と伝える銅鐘銘文写(小松神社文書)によると、承安年間(一一七一―七五)小松内府平重盛が当地に熊野白山両権現を勧請、本地仏として阿弥陀如来・十一面観音を安置した。重盛が没すると重臣筑後守平貞能が出家して追善のため小松寺を建立。重盛の遺骨は両権現のそばに埋葬し、目印として銀杏を植え、脇に小松明神を建立したという。一方、小俣鶏足おまたけいそく(現栃木県足利市)の鶏足寺世代血脈によると、小松寺は小松天皇(元明天皇)の御願寺であったと伝える。


小松神社
こまつじんじや

[現在地名]物部村別役

槙山まきやま川の北岸、山林に囲まれたみやたに鎮座。「延喜式」神名帳に「小松コマツノ神社」とある社に比定される。神体は鏡で、祭神および勧請年月は不詳だが、古来別役べつちやく村の産土神とされる。旧村社。

平家の小松氏ゆかりの神社との伝えをもっていたが、神社は平家来住の伝承以前より鎮座しており、谷秦山は「土佐国式社考」で渡来氏族の秦氏との関連説を主張している。「山風土記」は鎮座について次の伝説を記す。

<資料は省略されています>

また「神体ハ柱ノ内ニ在之ト大工一人伝」と記す。天正一六年(一五八八)の大忍庄地検帳の奥別役ノ村には神社の記載はなく、「南路志」は小松大明神・地頭大明神・姥神などを並記する。「高知県神社明細帳」には「社地拾六代四歩、散田無貢、宮林長二十間横十五間、御山方支配」とある。


小松神社
こまつじんじや

[現在地名]国東町見地

横山よこやまに鎮座。八坂社とも称した。旧郷社。祭神は小松内大臣平重盛など一八柱。寿永二年(一一八三)七月平宗盛の一行西海に航海したが、豊後国司らの攻撃を避けて当地山中に逃れ、鎮守の祇園天王に重盛の霊を併祀して小松社としたという。応永二〇年(一四一三)宝殿の造営があったのをはじめ、永禄一〇年(一五六七)・寛永一五年(一六三八)・正保二年(一六四五)社殿などの造営または修理が行われた(棟札)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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