小泉 又次郎
コイズミ マタジロウ
- 肩書
- 衆院副議長,逓信相,衆院議員(日本進歩党),貴院議員(勅選)
- 生年月日
- 慶応1年5月17日(1865年)
- 出身地
- 神奈川県
- 学歴
- 交郷校卒
- 経歴
- 鳶職の家に生まれる。小学校教師、地方新聞記者を経て横須賀市議、神奈川県議。明治41年以来、衆院議員当選12回。立憲同志会から憲政会に属し、幹事長、総務を務めて普選、護憲運動に尽力。大正13年〜昭和2年衆院副議長に就任、党籍離脱の先例を作る。3年民政党幹事長、翌年浜口内閣・第2次若槻内閣の逓信相。その後再び幹事長。9年横須賀市長。14年内閣参議。戦時中は翼賛政治会顧問、同代議士会長、小磯国昭内閣顧問などを務めた。20年勅選貴院議員。著書に「普選運動秘話」など。
- 没年月日
- 昭和26年9月24日
- 家族
- 孫=小泉 純一郎(首相)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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小泉 又次郎
コイズミ マタジロウ
明治〜昭和期の政治家 衆院副議長;逓信相;衆院議員(日本進歩党);貴院議員(勅選)。
- 生年
- 慶応1年5月17日(1865年)
- 没年
- 昭和26(1951)年9月24日
- 出身地
- 神奈川県
- 学歴〔年〕
- 交郷校卒
- 経歴
- 鳶職の家に生まれる。小学校教師、地方新聞記者を経て横須賀市議、神奈川県議。明治41年以来、衆院議員当選12回。立憲同志会から憲政会に属し、幹事長、総務を務めて普選、護憲運動に尽力。大正13年〜昭和2年衆院副議長に就任、党籍離脱の先例を作る。3年民政党幹事長、翌年浜口内閣・第2次若槻内閣の逓信相。その後再び幹事長。9年横須賀市長。14年内閣参議。戦時中は翼賛政治会顧問、同代議士会長、小磯国昭内閣顧問などを務めた。20年勅選貴院議員。著書に「普選運動秘話」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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小泉又次郎
こいずみまたじろう
[生]慶応1(1865).5.17. 神奈川
[没]1951.9.24. 横浜
政治家。貧困のため独学で検定試験を受け,小学校教員となった。その後新聞記者,横須賀市会議員,同議長,神奈川県会議員,横須賀市長を経て,1908年,第 10回衆議院選挙で神奈川2区から出馬して初当選,以後連続 12回当選して太平洋戦争終結後まで議席をもった。 19年選挙法改正案を国会に上程するとともに同法案成立のため院外においても学生や労働者と提携して運動を進めた。以後普通選挙運動の先頭に立ち,普通選挙法制定に貢献した。 24年衆議院副議長,29年浜口内閣,31年第2次若槻内閣の逓信大臣,内閣参議,同顧問。また憲政会総務,同幹事長,立憲民政党幹事長,42年翼賛政治会評議員。戦後公職追放。著書『普選運動秘史』 (1928) 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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小泉又次郎 (こいずみまたじろう)
生没年:1865-1951(慶応1-昭和26)
政党政治家。神奈川の生れ。鳶職の子。小学教員より横須賀市議,県議を経て,1908年以来代議士当選12回。同志会-憲政会-民政党に属し,第1次大戦後の普選運動の先頭に立った。24-27年衆議院副議長を経て29年浜口雄幸内閣の逓相となり,党人大臣として人気があった。34年より翌年にかけ横須賀市長をつとめた。戦時下は翼政会,日政会顧問,小磯国昭内閣顧問を歴任した。
執筆者:松尾 尊兊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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小泉又次郎 こいずみ-またじろう
1865-1951 明治-昭和時代前期の政治家。
慶応元年5月17日生まれ。小学校教師,新聞記者などをへて明治41年衆議院議員(当選12回)。憲政会,民政党の幹事長をつとめ,普選運動をすすめる。浜口・第2次若槻(わかつき)両内閣の逓信相。のち横須賀市長,貴族院議員。昭和26年9月24日死去。86歳。武蔵(むさし)久良岐(くらき)郡(神奈川県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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小泉 又次郎 (こいずみ またじろう)
生年月日:1865年5月17日
明治時代-昭和時代の政治家
1951年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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