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尾去沢鉱山 おさりざわこうざん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

尾去沢鉱山
おさりざわこうざん

秋田県鹿角郡尾去沢町 (現鹿角市) にあった銅山。和銅年間 (708~715) に発見されたと伝えられ,初めは金山であったが寛文 (1661~73) 頃から金が枯渇し銅山となった。明和2 (1765) 年に南部藩直営となり,1889年に岩崎家に移って以後三菱系が経営。

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デジタル大辞泉の解説

おさりざわ‐こうざん〔をさりざはクワウザン〕【尾去沢鉱山】

尾去沢にあった鉱山。江戸時代には南部藩が直営で採掘し、亜鉛硫化鉄などを産出した。昭和53年(1978)閉山。

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世界大百科事典 第2版の解説

おさりざわこうざん【尾去沢鉱山】

秋田県鹿角市尾去沢にある鉱山。鉱山付近の地質は,新第三系中新統の凝灰岩,泥岩とこれを貫くプロピライト,流紋岩,石英安山岩から成り,その2km×3kmの範囲に銅,鉛,亜鉛,金,銀等の多種類の金属を含む数百条の割れ目充てん鉱床が知られている。【山口 梅太郎】
[歴史]
 口碑によると8世紀初めの和銅年間の発見と伝えられているが確証はない。記録上銅鉱の採掘が始まるのは,1666年(寛文6)山師長尾重左衛門が田郡沢,赤沢で銅鉱を発見して以降で,86年(貞享3)に盛岡の商人熊谷治兵衛単独の請負稼業となってから急速に開発が進んだ。

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大辞林 第三版の解説

おさりざわこうざん【尾去沢鉱山】

秋田県北東部、鹿角かづの市にあった銅山。近世には南部藩が直営する日本有数の銅山であった。1978年(昭和53)閉山。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

尾去沢鉱山
おさりざわこうざん

秋田県北東部、鹿角(かづの)市にある鉱山。江戸時代には盛岡藩南部(なんぶ)氏最大の銅山であった。口碑によると、和銅(わどう)年間(708~715)の発見と伝えられるが確かではない。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に白根(しらね)、槇山(まきやま)などで金が採掘されたが、まもなく衰え銅へ移った。銅が最初に発見されたのは1666年(寛文6)と伝えられる。その後、尾去沢地域の田郡(たごおり)、鹿沢(しかさわ)、赤沢などで稼行した。最初は藩から請け負った盛岡商人の手によって採掘されたが、1765年(明和2)以来明治に至るまで藩の直営となった。1771年の産銅額は約75万斤(約450トン)という。粗銅は野辺地(のへじ)港へ運ばれ、西廻(まわ)り、東廻りで大坂へ回送された。明治になって村井茂兵衛が経営したが、旧盛岡藩の外国負債の代償として大蔵省が没収、岡田平蔵が払下げを受け、1889年(明治22)以来岩崎家(1893年三菱(みつびし)合資会社)の経営になった。1972年(昭和47)尾去沢鉱山に経営移管し、1978年鉱量の枯渇によって閉山した。その後は観光施設として公開されている。
 鉱山は南北4キロメートル、東西2.5キロメートルに及び、地質は完新世(沖積世)中期で、獅子沢(ししざわ)層とよばれる硬質泥岩中に鉱脈がもっとも発達していた。銅のほか、金、鉛、亜鉛、硫化鉄、マンガンなどを産した。
 なお、1936年11月、精錬所の硫化泥沈殿貯水池のダムが決壊して下流の坑夫長屋が埋没し、死者362人を出す大惨事を起こし、さらに12月にも再度決壊し12人の死者を出した。[宮崎禮次郎]

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世界大百科事典内の尾去沢鉱山の言及

【野辺地[町]】より

…野辺地湊の繁栄は船宿制と廻船問屋仲間ができる安永期(1772‐81)以降である。上北郡産出の大豆,長崎俵物(たわらもの)の煎海鼠(いりこ),〆粕(しめかす),コンブなどの移出でにぎわったが,繁栄したのは尾去沢鉱山(現,秋田県鹿角市)産出の御用銅が大坂に積み出されたことによる。同鉱山の銅の積出しは1677年(延宝5)に始まるが,御用銅の移出開始は1716年(享保1)で,1801年(享和1)の野辺地湊積出しは57万9300斤であった。…

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