山口長男(読み)ヤマグチタケオ

デジタル大辞泉 「山口長男」の意味・読み・例文・類語

やまぐち‐たけお〔‐たけを〕【山口長男】

[1902~1983]画家朝鮮の生まれ。東京美術学校卒。武蔵野美大教授。フランス佐伯祐三ザッキンらと交流二科展抽象絵画出品、簡潔な色彩と重厚な質感絵肌で知られる。芸術選奨受賞代表作に「」「かたち」「平面」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山口長男」の意味・わかりやすい解説

山口長男
やまぐちたけお
(1902―1983)

洋画家漢城(現ソウル)生まれ。父は現在の鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市の出身。1921年(大正10)上京し、本郷洋画研究所に学ぶ。27年(昭和2)東京美術学校西洋画科を卒業し、同年フランスに渡る。佐伯祐三(さえきゆうぞう)、ザッキンに私淑し、抽象作風に移り、31年帰国して二科展に出品。二科会の前衛グループ九室会の一員として活躍。45年二科会の再結成に会員として参加する。54年(昭和29)第1回現代日本美術展で優秀賞、昭和36年度芸術選奨文部大臣賞を受けるほか、ベネチアサン・パウロのビエンナーレ展に出品。簡潔にして重厚な抽象作風により国際的に知られる。武蔵野(むさしの)美術大学教授。代表作は『池』『象(かたち)』『構成』『転』など。

[小倉忠夫]

『乾由明編『山口長男作品集』(1981・講談社)』

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20世紀日本人名事典 「山口長男」の解説

山口 長男
ヤマグチ タケオ

昭和期の洋画家 武蔵野美術学園園長。



生年
明治35(1902)年11月23日

没年
昭和58(1983)年4月27日

出生地
旧朝鮮・京城

学歴〔年〕
東京美術学校〔昭和2年〕卒

主な受賞名〔年〕
現代日本美術展優秀賞〔昭和29年〕「作品(かたち)」,芸術選奨文部大臣賞〔昭和37年〕

経歴
昭和2年に東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業後、荻須高徳と渡仏。帰国後は二科展に出品、戦後は再建された二科会の新会員となったが、38年退会。抽象画パイオニアといわれ、29年から20年間、武蔵野美術大学教授。同年第1回現代日本美術展に出品した「作品(かたち)」が優秀賞を受賞。37年には芸術選奨文部大臣賞を受賞する一方欧米の国際展で活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「山口長男」の意味・わかりやすい解説

山口長男【やまぐちたけお】

画家。韓国ソウル生れ。1927年東京美術学校卒業後,佐伯祐三を慕って荻須高徳とともに渡仏。パリで石彫も学ぶ。1931年帰国,二科展入選。1945年二科会会員。1954年から1974年まで武蔵野美術学校教授。へらで塗り込まれたマティエールをもつ非形象的絵画を制作した。1980年東京国立近代美術館で回顧展。《山口長男作品集》がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口長男」の解説

山口長男 やまぐち-たけお

1902-1983 昭和時代の洋画家。
明治35年11月23日朝鮮漢城生まれ。フランスにわたりザッキンの影響をうける。帰国後二科展に抽象絵画を出品,九室会を結成。戦後は国際展でも活躍し,昭和37年芸術選奨。武蔵野美大教授。昭和58年4月27日死去。80歳。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「作品(かたち)」など。

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367日誕生日大事典 「山口長男」の解説

山口 長男 (やまぐち たけお)

生年月日:1902年11月23日
昭和時代の洋画家。武蔵野美術学園園長
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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