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山本玄峰 やまもと げんぽう

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美術人名辞典の解説

山本玄峰

臨済宗の僧。妙心寺632世。和歌山県生。諱は宜詮、号を般若窟。21才で眼を患い、四国遍路の途中、高知雪蹊寺の山本太玄に面謁し、得度。滋賀永源寺、神戸祥福寺などを行脚。雪蹊寺住職となり、京都円福寺の見性宗般に師事して嗣法。静岡竜沢寺に入山、欧米・インドを巡歴し、中国新京(長春)に妙心寺別院を創建。著に『無門関提唱』等。昭和36年(1961)寂、95才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山本玄峰 やまもと-げんぽう

1866-1961 明治-昭和時代の僧。
慶応2年1月28日生まれ。臨済(りんざい)宗。四国遍路の途上,たおれていたのをすくわれ出家。見性宗般(けんしょう-しゅうはん)の法をつぎ,三島竜沢寺などを再興。昭和22年妙心寺派管長。昭和36年6月3日死去。95歳。紀伊(きい)湯峰(和歌山県)出身。名は宜詮。号は般若窟(はんにゃくつ)。著作に「無門関提唱」。
【格言など】旅に出る。着物を用意しろ(最期の言葉)

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山本玄峰
やまもとげんぽう
(1866―1961)

明治~昭和期の臨済(りんざい)宗の僧。幼名は芳吉、諱(いみな)は宜詮(ぎせん)、号は般若窟(はんにゃくつ)。慶応(けいおう)2年1月28日、和歌山県東牟婁(むろ)郡四村(現田辺(たなべ)市)に生まれる。幼くして捨てられていたのを拾われ、岡本家に養われる。19歳ころ眼病を患い、治癒祈願の四国遍路を発願(ほつがん)する。25歳にして7回目の遍路途上、高知市雪蹊(せっけい)寺の門前に行き倒れていたのを、住職山本太玄(たいげん)に救われ、翌年、太玄について得度した。滋賀県の永源寺(えいげんじ)、兵庫県の祥福寺(しょうふくじ)、岡山県の宝福寺(ほうふくじ)、岐阜県の永保寺(えいほうじ)など行脚(あんぎゃ)ののち、雪蹊寺に住したが、京都の円福寺にふたたび行脚し、見性宗般(けんしょうしゅうはん)より法を嗣(つ)いだ。静岡県の龍沢寺(りゅうたくじ)および松蔭寺(しょういんじ)、長野県の正受庵(しょうじゅあん)、愛知県の瑞泉寺(ずいせんじ)などを復興し、1947年(昭和22)妙心寺派管長に就任した。昭和36年6月3日示寂。著書に『無門関提唱(むもんかんていしょう)』がある。[伊藤秀憲]
『『無門関提唱』(1960・大法輪閣) ▽玉置弁吉編著『回想 山本玄峰』新装版(1986・春秋社) ▽帯金充利著『再来――山本玄峰伝』(2002・大法輪閣)』

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