山田わか(読み)やまだわか

改訂新版 世界大百科事典 「山田わか」の意味・わかりやすい解説

山田わか (やまだわか)
生没年:1879-1957(明治12-昭和32)

大正・昭和期の評論家。神奈川県の農家に生まれ,生家窮乏により18歳で渡米して苦界に身を沈めた。苦界脱出後,在米の民間学者山田嘉吉と結婚,1906年に帰国。夫に薫育され,《青鞜》への寄稿がきっかけで婦人問題評論家に転身母性尊重と保護を主張して新聞雑誌に活躍,身上相談欄の回答者としても信頼された。34年母性保護法制定促進婦人連盟の委員長となり活動する一方母子寮保育園創立売春婦更生事業にも足跡を残した。
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百科事典マイペディア 「山田わか」の意味・わかりやすい解説

山田わか【やまだわか】

評論家,婦人運動家。神奈川県出身。生家の窮乏で単身渡米し,苦界に身を沈める。脱出後,社会学者山田嘉吉と結婚,1906年帰国し,嘉吉の薫育で《青鞜》誌上翻訳・評論を発表するまでになり,婦人問題評論家として新聞・雑誌に活躍,身上相談欄の回答者としても信頼された。1934年山高しげりらと母性保護法制定促進婦人連盟を結成,委員長として母子保護法成立に尽力。また母子寮・保育園を設立し,売春婦更生事業にも取り組んだ。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田わか」の解説

山田わか やまだ-わか

1879-1957 大正-昭和時代の婦人運動家。
明治12年12月1日生まれ。渡米先でだまされて苦界に身をしずめる。救済施設にのがれ,山田嘉吉と結婚。明治39年帰国し,「青鞜(せいとう)」などで母性尊重をうったえ,与謝野晶子と論争する。昭和9年母性保護法制定促進婦人連盟初代委員長。戦後は売春婦の更生につくした。昭和32年9月6日死去。77歳。神奈川県出身。旧姓は浅葉。著作に「女・人・母」,小説に「女郎花(おみなえし)」など。

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