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山田道安 やまだ どうあん

美術人名辞典の解説

山田道安

戦国・織豊時代の画家・大和山田城主。筒井氏の一族にして、名は順貞、民部と称した。初め周文・雪舟の画風を慕い、のち宋人の筆意を得た。天正元年(1573)歿、32才。「道安」の号は、順貞、順清〔元亀2年(1571)歿〕、順知と三代をかぞえ、歴代同じ印章を用い、ともに武人画家として知られた。

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百科事典マイペディアの解説

山田道安【やまだどうあん】

戦国時代の武人画家。大和国山田の城主。名は順貞(じゅんてい)。水墨画を得意とし,墨気の強い人物・花卉(かき)画を描いた。彫刻もよくし,松永久秀の兵火で焼け落ちた東大寺大仏の仏頭を1568年ごろから修理,また大仏殿の再建にも携わったという。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山田道安 やまだ-どうあん

?-1573 戦国-織豊時代の武将,画家。
筒井氏の一族で,大和(やまと)(奈良県)岩掛城主。豪放な水墨画で知られ,彫刻にもすぐれた。永禄(えいろく)10年の松永久秀の焼き討ちにより損壊した東大寺大仏の修復につとめた。天正(てんしょう)元年10月21日死去。名は順貞(としさだ)。通称は民部。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまだどうあん【山田道安】

戦国時代末~桃山時代の武人画家。大和の筒井氏の一族で,山田順貞,順清,順知の3代にわたって〈道安〉の号を用いたようである。順貞は1573年(天正1),順清は1569年(永禄12)に没している。順清を初代とする記録もあり,作品は初代,2代に多い。《鍾馗図》,《臨済裁松図》(東京芸大)はこの派の豪放かつ枯淡な画風を示す代表作。武人画家による作画は16世紀以降盛んにおこなわれた。禅林という基盤をはなれ,水墨画を中心とした画壇が戦国時代に入って地方豪族の庇護のもとに土着化し,剣禅一致の思想を背景に個性的画風を示した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山田道安
やまだどうあん

[生]?
[没]天正1(1573).大和
戦国時代の武将。大和国山辺郡山田城主。絵画,彫刻にすぐれ,その遺作も著名であるが,山田道安という名は3代続いたという説があり,だれが絵画,彫刻にすぐれていたか定説がない。1代目と思われる道安は,永禄 10 (1567) 年 10月三好三人衆と松永久秀の戦いで東大寺大仏殿が炎上すると,大仏を修理し,大仏殿を再建したことで有名。

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