出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県北部,奈良盆地の東辺を山すそに沿って桜井市の三輪から巻向(まきむく),天理市の石上(いそのかみ),布留を経て奈良まで多少曲折しながら南北に通じていたとみられる古道。《古事記》には崇神天皇陵は山辺の道の勾(まがり)の岡の上に,景行天皇陵は山辺の道の上にあると記されている。また《日本書紀》武烈天皇即位前紀にみえる歌謡には,石上~布留~高橋~大宅~春日~小佐保~乃楽山(ならやま)という北上する道筋が詠みこまれている。天理市に前述の両天皇陵に比定される巨大な前方後円墳がある。道に沿って大神(おおみわ)神社,釜口(かまのくち)長岳寺,内山永久寺跡,石上神宮,和爾下(わにした)神社などの古社寺や旧跡も多く,桜井市から天理市にかけての南半部には古道の痕跡や景観が残る。大和三山,二上山も遠望でき,ハイキングコースになっており,大和青垣国定公園に含まれる。
執筆者:舟尾 好正+高橋 誠一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県奈良盆地の東辺、大和(やまと)高原の西麓(せいろく)をやや曲折しながら南北に通じる約35キロメートルの道。古代の上津(かみつ)道(近世の上街道)の東を走る日本最古の道の一つといわれ、沿道の山辺道勾岡上(やまのべのみちのまがりのおかのへ)陵(崇神(すじん)天皇陵)や山辺道上(やまのべのみちのへ)陵(景行(けいこう)天皇陵)などにその名が残る。奈良市から南へ天理市、桜井市を経て初瀬(はせ)街道に至るもので、沿道には北から円照寺、弘仁(こうにん)寺、和爾下(わにした)神社、石上(いそのかみ)神宮、永久寺跡、長岳寺や、崇神天皇陵、景行天皇陵に指定される古墳、檜原(ひばら)神社、玄賓庵(げんぴんあん)、大神(おおみわ)神社などの古社寺のほか、巨大古墳の箸墓(はしばか)などもある。東海自然歩道と重なる部分が多く、とくに南部の石上神宮付近から三輪(みわ)までの山辺の道ハイキングコースは三輪山や大和三山を展望できるなど景観に優れる。一帯は大和青垣国定公園域。
[菊地一郎]
『朝日新聞社奈良支局編『山の辺の道』(1972・創元社)』▽『崎山祐宏著『山の辺の道 文学散歩』(1985・綜文館)』
…今日においては主要都市からしか進入できない自動車専用道路の出現をみるに至っている。【古島 敏雄】
【古代の道の特徴】
自然の道の例として,大和のプレ横大路(よこおおじ),山辺の道,葛城(かつらぎ)古道があげられる。プレ横大路は,後でとり上げる横大路のやや北を走っていた道で,三輪山のふもとと二上山のふもとを結ぶ道である。…
※「山辺の道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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