岩倉寺(読み)いわくらじ

日本歴史地名大系 「岩倉寺」の解説

岩倉寺
いわくらじ

[現在地名]輪島市町野町西時国

岩倉山の南側山腹にある。岩蔵寺とも記した。白雉山と号し、高野山真言宗。かつては下町野庄惣社の石倉比古いわくらひこ神社の別当寺であったという(能登志徴)本尊千手観音で、岩倉観音と通称される。能登国三十三所観音霊場の第三二番札所。光浦ひかりうらの磯で夜々光を放ち漁夫の網にかかって海から上がったという伝承をもつ。貞享二年寺社由緒書上によれば、白雉二年(六五一)孝徳天皇が開いたと伝える。明応九年(一五〇〇)一一月七日に伽藍焼亡、永正四年(一五〇七)四月四日再建されている(「千手観音棟札」寺蔵)。再建の際、本尊の開眼供養の導師を勤めた雄鑁は宝立ほうりゆう山宝嶺大権現の別当高照こうしよう(現珠洲市)住職であった。

岩倉寺
いわくらじ

[現在地名]西粟倉村長尾

引谷ひかだに川が吉野よしの川に合流するところ、別府べふ集落の北にある真言宗御室派寺院。宝倉山と号し、本尊は十一面観音。「東作誌」によれば役小角の開基で、延文年中(一三五六―六一)山名時氏父子が仏閣放火、ことごとく焼失したという。明応二年(一四九三)下町しもまち(現大原町)竹山たけやま城主新免貞重の一族が祈願寺とし、寺家五坊を再建したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報