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川口軌外 かわぐち きがい

百科事典マイペディアの解説

川口軌外【かわぐちきがい】

画家。和歌山県生れ。本名孫太郎。和歌山師範退学。斎藤与里らの水彩画講習会に参加。上京後は中村不折に学ぶ。1917年二科展入選。1919年―1923年滞仏,モーリス・ドニに師事するほか,フォービスムをはじめ近代美術を吸収。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川口軌外 かわぐち-きがい

1892-1966 大正-昭和時代の洋画家。
明治25年11月10日生まれ。太平洋画会研究所で中村不折(ふせつ)に師事。フランスで立体派のアンドレ=ロートらにまなぶ。昭和4年二科賞受賞。翌年独立美術協会創設に参加,のち国画会会員。昭和41年6月5日死去。73歳。和歌山県出身。和歌山師範中退。本名は孫太郎。作品に「少女と貝殻」「異影」など。

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大辞林 第三版の解説

かわぐちきがい【川口軌外】

1892~1966) 洋画家。和歌山県生まれ。太平洋画会研究所で中村不折に学ぶ。独立美術協会の結成に参加し、幻想的な作品を発表。戦後は、国画会で活動した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川口軌外
かわぐちきがい
(1892―1966)

洋画家。和歌山県生まれ。本名孫太郎。一時期軌崖(きがい)と称したこともある。和歌山師範学校を中退して1912年(大正1)上京し、太平洋画会研究所、のち日本美術院で洋画を学ぶ。19~23年(大正8~12)、24~29年(大正13~昭和4)の二度渡仏して、ロートとレジェにキュビスムを学ぶ。帰国の年(1929)二科展に滞欧作を特陳して二科賞を受ける。30年同志と独立美術協会を創立し、『少女と貝殻』ほかキュビスムと幻想の融合した画境を示す。43年独立美術協会を退会。第二次世界大戦後は国画会会員(1947~63)となるほか、ベネチアやサン・パウロのビエンナーレ展に出品し、独自の抽象作風を展開した。[小倉忠夫]

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世界大百科事典内の川口軌外の言及

【キュビスム】より

抽象芸術 日本におけるキュビスムの受容は1915年ごろに始まり,東郷青児,万鉄五郎らの作品にまずその反映がうかがえる。20年代に入ると,矢部友衛,古賀春江,黒田重太郎,川口軌外,坂田一男と,なんらかの形でキュビスムあるいはそれに類する様式を取り入れる画家はその数を増し,ひとつの流行の観を呈した。しかし彼らはキュビスムと未来派,あるいはキュビスムから派生したピュリスムや抽象的傾向を厳密に識別していたわけではなく,またそれぞれの理念を理解していたわけでもなかった。…

【明治・大正時代美術】より

…里見勝蔵(1895‐1981),前田寛治,佐伯祐三らがそうであり,彼らは木下孝則(1895‐1973),小島善太郎(1892‐1984)と一九三〇年協会を結成する。26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。しかし一九三〇年協会は第5回展をもって終わり,その継続ともいえる独立美術協会が結成されて,31年第1回展が開かれる。…

※「川口軌外」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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