日本歴史地名大系 「成田山新勝寺」の解説
成田山新勝寺
なりたさんしんしようじ
正しくは成田山明王院
文禄三年(一五九四)の成田村検地帳(豊田家文書)に寺名がみえ、九反余を名請している。寛永一〇年(一六三三)の関東真言宗新義本末寺帳には成田村新勝寺とあり、末寺六ヵ寺を有していた。当寺が大きく興隆するのは中興第一世と尊称される照範の時である。元禄一三年(一七〇〇)に入寺した照範は新本堂をはじめ三重塔・仁王門など諸堂伽藍を次々と建立して寺観を整え、同一六年には江戸出開帳を成功させ、江戸民衆の注目を集めた。近世初期以来佐倉藩の祈願寺となり、代々の藩主に信仰された。なかでも篤信者は稲葉正通(正往)で、新義真言宗の支配者であった
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報