日本大百科全書(ニッポニカ) 「川辺十島」の意味・わかりやすい解説
川辺十島
かわなべじっとう
鹿児島県大隅諸島(おおすみしょとう)の一部に数えられる竹島、硫黄島(いおうじま)、黒島の3島(口之三島(くちのみしま)ともいう)と、吐噶喇(とから)列島の有人島8島(口之島、中之島、臥蛇島(がじゃじま)、諏訪瀬島(すわのせじま)、平島(たいらじま)、悪石島(あくせきじま)、小宝島(こだからじま)、宝島)をあわせた呼称(現在臥蛇島は無人)。7島と数えられるのは、小宝島が宝島の属島として扱われていたためである。川辺郡に所属したのでこの名がある。1897年大島郡に編入、1908年(明治41)独立村制を敷き十島村(としまむら)とよんだ。第二次世界大戦後、3島を除き、北緯30度以南の諸島はアメリカ合衆国の占領下に置かれ、財政援助もないまま放置された状態が続いたが、1952年(昭和27)に7島、ついで1953年に奄美(あまみ)諸島も日本に復帰した。それまで、北の3島が十島村の名を踏襲した。そこで、3島は三島村(みしまむら)と改名、南の7島で十島村となっておのおの独立した。1973年以降、両村とも鹿児島郡に属している。この名称はほとんど使用されない。
[塚田公彦]