悪石島(読み)アクセキジマ

日本歴史地名大系 「悪石島」の解説

悪石島
あくせきじま

[現在地名]十島村悪石島

とから列島中央に位置する周囲約一三キロの火山島。面積七・四九平方キロ。最高峰は標高五八四メートルの岳。東西の海岸に温泉が湧出する。西岸にやすらはま港がある。南東部を除いてほとんどが断崖で、北北東諏訪之瀬すわのせ島、北にたいら島、南西たから島・小宝こだから島がある。

〔近世〕

河辺郡しち島のうち。鹿児島藩船奉行の管轄下、中之なかの島に派遣された在番が管轄した。幕末になると悪石島にも在番を置いた形跡がある(拾島状況録)。在番の指示の下で悪石島郡司が浦役を兼ねながら島政にあたった。在番とは別に中之島に派遣された横目の指揮下、島民中から選ばれた二人の横目(島横目)が島の治安維持にあたった。幕末―明治初年の悪石島在番は佐々木口右衛門・安田四郎兵衛・小笹藤助・山内平八・永吉加右衛門、郡司は中村氏、横目は中村・坂元両氏が知られる(十島村文化財調査報告書)。元禄国絵図に島名がみえ、島回二里二町、宝島まで海上一八里とある。「大御支配次第帳」によれば、享保一二年(一七二七)悪石島でも検地を実施し、検地竿次名寄帳二冊を作成したが現存しない。藤井本「要用集抄」によれば正徳三年(一七一三)頃の高三五石余、用夫五八、鹿児島から海路八六里。「三州御治世要覧」による延享(一七四四―四八)頃の高も同様。「薩藩政要録」では文政九年(一八二六)の用夫一八、「要用集」では嘉永四年(一八五一)の用夫四〇。

「拾島状況録」は明治二〇年代の耕作の状況について、村落周囲の原野が村民の耕地で、焼蒔の法により耕作し、その種類は粟・麦・大豆・甘藷などと記しており、江戸時代も同様とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「悪石島」の意味・わかりやすい解説

悪石島
あくせきじま

鹿児島県南部,吐噶喇列島の島。北東─南西に並ぶ島群のほぼ中央に位置し,十島村に属する。島の周囲 12.64kmのほとんどが海食崖に取り囲まれた険しい火山地形で,最高点は御岳(みたけ)の標高 584m。平坦地は少なく,定期船が発着する西岸のやすら浜(浜集落)と,島の南部海抜約 160mの中腹に広がる上村(上集落)に集落がある。リュウキュウチクタブノキビロウが群生し,ミナミイシガメ,トカラヤギが生息する。おもな産業は漁業で,トビウオ,サワラなどがとれる。中腹では畜産も行なわれる。島の各地で神々がまつられ,特に旧暦 7月16日に行なわれる仮面をつけた来訪神ボゼの奇祭は「来訪神:仮面・仮装の神々」として国際連合教育科学文化機関 UNESCO無形文化遺産に登録。やすら浜港近くの海岸では温泉が湧出する。鹿児島─名瀬奄美大島)間の定期船が寄港する。面積 7.49km2。人口 90(2020)。

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デジタル大辞泉プラス 「悪石島」の解説

悪石島

鹿児島県鹿児島郡十島村、南西諸島トカラ列島のほぼ中央にある島。「あくせきじま」と読む。薩摩半島の南西約210キロメートルに位置する。北東には諏訪之瀬島、南西には小宝島がある。面積は約7.49平方キロメートル。火山島で温泉がある。島の周囲は断崖絶壁。独特な風貌の仮面神「ボゼ」が来訪する旧盆の伝統行事は「来訪神:仮面・仮装の神々」の構成要素“悪石島のボゼ”としてユネスコの無形文化遺産に登録されている。

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