諏訪之瀬島(読み)スワノセジマ

デジタル大辞泉 「諏訪之瀬島」の意味・読み・例文・類語

すわ‐の‐せじま〔すは‐〕【諏訪之瀬島】

吐噶喇とから列島中部にある火山島。面積約28平方キロメートル。中央にある御岳おたけ(標高799メートル)の活動が盛ん。

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日本歴史地名大系 「諏訪之瀬島」の解説

諏訪之瀬島
すわのせじま

[現在地名]十島村諏訪之瀬島

とから列島中の周囲約二七キロの火山島。面積二七・六六平方キロ。島の南部東岸に切石きりいし港、島の中央に文化一〇年(一八一三)に大爆発を起こした(七九九メートル)があり、東麓に温泉が湧出する。北東中之なかの島、西にたいら島、南南西に悪石あくせき島がある。

〔近世〕

河辺郡しち島のうち。鹿児島藩船奉行のもと、中之島に派遣された在番の管轄下にあった(拾島状況録)。在番の指示の下、諏訪之瀬島郡司が島政にあたった。享保三年(一七一八)の郡司は肥後五郎兵衛が知られる(列朝制度)。また中之島に派遣された横目の指揮の下、島民中から選ばれた二人の横目がいた。元禄国絵図に諏訪ノ瀬島とみえ、島回三里二〇町、悪石島まで海上七里、平島まで海上五里とある。「大御支配次第帳」によれば、享保一二年に諏訪之瀬島でも検地を実施し、検地竿次名寄帳二冊を作成したが現存しない。藤井本「要用集抄」によれば正徳三年(一七一三)頃の高一二七石余、用夫七六、鹿児島から海路七九里。「三州御治世要覧」による延享(一七四四―四八)頃の高も同じ。宝暦一二年(一七六二)入来院主馬が家来松元貞右衛門の下人半兵衛を大島へ私遠流するに際し、古船造替で大島に下る諏訪之瀬島の船頭向井七兵衛に半兵衛の乗船方を依頼している(近世入来文書)

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改訂新版 世界大百科事典 「諏訪之瀬島」の意味・わかりやすい解説

諏訪之瀬島 (すわのせじま)

鹿児島県吐噶喇(とから)列島のほぼ中央にある火山島。面積22.3km2。列島のなかでは中之島に次いで大きい。鹿児島郡十島(としま)村に属する。島の中央にある御岳(おたけ)(796m)は典型的なストロンボリ式噴火活火山として知られ,間欠的に噴煙をあげ,その高さはときには1000mをこえる。1813年(文化10)の大噴火で島民は脱出,以後無人島となったが,83年奄美大島から開拓民が入った。島の周囲は急崖をなし,南部の台地に集落がある。山地アコウ,ガジュマル,ソテツ,琉球竹など亜熱帯性の植物相を示す。台地上でサトウキビ,野菜の栽培が行われ,御岳のすそ野の共同牧場では肉牛が飼育されている。景色がよく,釣り場に恵まれるため,1970年代に日本楽器(現,ヤマハ)によって宿泊施設と飛行場が建設され,不定期ながら鹿児島空港との間に小型機が運航されている(のちヤマハは観光産業から撤退)。鹿児島港からは村営航路が通じる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「諏訪之瀬島」の意味・わかりやすい解説

諏訪之瀬島
すわのせじま

鹿児島県南部,吐噶喇列島の中部にある火山島。活火山で,常時観測火山十島村に属する。最高点は御岳(796m)。文化10(1813)年に大規模な噴火が起こり,火砕流が発生し,溶岩も流出した。また山体崩壊も起こり全島民が避難,1883年まで無人島となった。以降も活発な火山活動が続いている。平地が少なく,畑作,和牛飼育が中心。元浦港と切石港の二つの港がある。鹿児島港から定期船が運航。面積 27.66km2。人口 74(2000)。

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