川面凡児(読み)かわつら ぼんじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川面凡児 かわつら-ぼんじ

1862-1929 明治-大正時代の神道家。
文久2年4月1日生まれ。明治29年「自由党党報」を主宰する。やがて神道に関心をもち,39年稜威(みいつ)会を創立して「大日本世界教」をとなえ,(みそぎ)行事を各地でおこなった。昭和4年2月23日死去。68歳。豊前(ぶぜん)宇佐郡(大分県)出身。名は恒次。字(あざな)は吉光。著作に「日本古典真義」「天照大神宮」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

川面凡児

没年:昭和4.2.23(1929)
生年:文久2.4.1(1862.4.29)
明治末期から昭和初期にかけての神道家。豊前国宇佐郡小坂村(大分県宇佐郡院内町)に生まれ,熱心な神仏信仰者の母八津の素質を受け継いで育つ。15歳のとき,宇佐神宮の神体山である大元山に籠り修行,神伝を受けたという。明治18(1885)年上京,新聞記者などしながら仏教や漢学などを勉強した。同39年に「大日本世界教稜威会」を結成,独自の神道説と禊による神道行法の普及に乗り出した。その神道の特徴は,宇宙の根本統一主宰神としての天御中主大神と,その“分派”の諸神・諸仏の存在による「一神即多神」説に基づく「惟神の大道」を説いたところにある。さらに禊行法を重視した点にある。同42年,第1回の大寒禊を神奈川県片瀬海岸で行い,以降,門人,支持者を増やした。この禊重視の在野神道は国民各層に大きな影響を与えた。<著作>『川面凡児全集』10巻<参考文献>金谷真『川面凡児先生伝』

(阪本是丸)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川面凡児
かわづらぼんじ
(1862―1929)

大正時代の神道家。名は恒次(つねじ)、字(あざな)は吉光(よしみつ)、のち凡児と称する。号は殿山(でんざん)。大分県宇佐郡に生まれ、15歳で馬城(まき)山に入って修行した。以後、漢学、仏教、法律、経済などを学び、1906年(明治39)に稜威(みいつ)会を創立、神道宣布に専念。とくに祖神の心に通うための徹底的な行を強調し、有力な神職の賛同を得て海浜や滝水での禊(みそぎ)行事を行い、全国的に流行した。昭和4年2月23日急逝。著書は非常に多く、おもなものは『日本古典真義』『大日本神典』『天照(てんしょう)大神宮』など。その大半は『川面凡児全集』30巻(1939~1941)に収められている。

[大原康男 2017年10月19日]

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精選版 日本国語大辞典の解説

かわつら‐ぼんじ【川面凡児】

明治・大正の神道家。名は恒次。大分県出身。稜威会(みいつかい)を創設。独自の国体観、宇宙観を説き、禊祓(みそぎはらえ)の実践をとなえた。文久二~昭和四年(一八六二‐一九二九

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