オホーツク海に面して常呂町市街地からサロマ湖に向かって延びる標高一〇―二〇メートルの三本の砂丘のうちの新砂丘IIと古砂丘の上に形成された縄文時代から擦文・オホーツク文化時代の集落遺跡の総称。発見は古く、明治二九年(一八九六)に河野常吉が井口元一郎とともに当地を訪れ、常呂川下流の西岸原野にある竪穴を発掘している。学術的な発掘調査は昭和三二年(一九五七)から東京大学文学部考古学研究室の手によって実施されてきたが、形状の異なる竪穴一三(擦文時代五・オホーツク文化期五・続縄文時代二・縄文時代晩期一)と小竪穴を調査したにとどまっている。昭和四三―四四年に東西約五キロ、南北二〇〇―三〇〇メートルの範囲内に二千四九九の竪穴住居跡が東京大学文学部考古学研究室によって測量されている。分布がもっとも濃い地点では一〇〇メートル四方に九〇の竪穴が集中するとされる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北海道のオホーツク海側第一の流域面積をもつ常呂川の河口地帯,北見市の旧常呂町字常呂,栄浦,岐阜にまたがる遺跡群。常呂川の沖積平野をとりまく台地上,砂丘上に遺跡が密集している。先縄文時代の遺跡もあるが,中心になるのは縄文,続縄文,擦文(さつもん)文化のものであり,オホーツク文化の住居もみられる。常呂遺跡群の中心になるのは常呂川河口からサロマ湖にのびる砂丘上にある常呂竪穴群と栄浦第二遺跡である。前者では約500,後者では約2000の竪穴住居の埋まりきらないくぼみを今日でも地表からはっきりと認めることができる。この中には縄文・続縄文・オホーツク文化の住居も含まれているが,その多くは擦文文化の住居址であると考えられ,もっとも典型的な擦文文化の大規模な集落址である。このほか縄文中期の北筒式土器を出すトコロ貝塚をはじめとする数多くの遺跡が台地上に点在している。これらを研究するため東京大学の北海文化研究常呂実習施設が設けられている。
執筆者:藤本 強
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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