日本大百科全書(ニッポニカ) 「留辺蘂」の意味・わかりやすい解説
留辺蘂
るべしべ
北海道東部、網走(あばしり)支庁(現、オホーツク総合振興局)管内にあった旧町名(留辺蘂町(ちょう))。現在は北見市の西部を占める地域。旧留辺蘂町は1921年(大正10)町制施行。名称はアイヌ語ルペシュペ(越える道、峠道の沢などの意)に漢字をあてたもの。2006年(平成18)端野(たんの)、常呂(ところ)2町とともに北見市に合併。常呂川支流の無加川(むかがわ)の上・中流部を占め、北東―南西方向に細長く広がる。JR石北(せきほく)本線、国道242号が地域の東寄りを横断し、国道39号が無加川沿いに縦断する。北見山地の森林地帯で、国有林を主とする森林面積が旧町域の88%を占めている。中心市街は木材の集散地として発展、木材加工業が盛んでカラマツ間伐材利用の合板・家具・木工芸品製造が行われている。農業は酪農のほか、タマネギ、サトウダイコン(ビート)、ジャガイモなどの生産が多い。西端に石北峠があり、無加川沿いの温根湯温泉(おんねゆおんせん)は網走地方最大の温泉地で、付近のエゾムラサキツツジの大群落は道指定天然記念物。日本一の水銀生産量を誇ったイトムカ鉱山は1973年(昭和48)閉山した。
[岡本次郎]
『『新留辺蘂町史』(1985・留辺蘂町)』