端野
たんの
北海道東部、網走(あばしり)支庁(現、オホーツク総合振興局)管内にあった旧町名(端野町(ちょう))。現在は北見市の東部を占める地域。旧端野町は1961年(昭和36)町制施行。名称はアイヌ語ヌッケシ(ヌプケシ、ヌプウンケシなどとも書かれ、「野の端」の意)の意訳。2006年(平成18)常呂町(ところちょう)、留辺蘂町(るべしべちょう)2町とともに北見市に合併。旧町域は北見盆地の北東部を占め、常呂川が北流する。JR石北本線、国道39号、333号が通じる。1897年(明治30)野付牛(のつけうし)と同時に屯田兵村が置かれ、100戸が入植して本格的開拓が始まった。北見地方としては水田率が高く、良質米を産するが、1970年代以降の減反政策により畑作や酪農が伸びた。
[岡本次郎]
『『端野町史』(1965・端野町)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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端野[町]【たんの】
北海道北東部,常呂(ところ)郡の旧町。東・北・西の3方が丘陵で,南は北見盆地に続き,石北本線が通じる。米作を行うほか畑作も盛んで,麦類,タマネギ,テンサイ,ジャガイモを産する。2006年3月常呂郡常呂町,留辺蘂町と北見市へ編入。163.50km2。5508人(2003)。
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端野
たんの
北海道北東部,北見市東部の旧町域。常呂川中流に位置する。 1961年町制施行。 2006年北見市,常呂町,留辺蘂町と合体して北見市となった。地名はアイヌ語のヌプウンケシ (野の端の意) に由来。北見盆地の北東部を占め,テンサイ,ジャガイモ,タマネギなどの栽培と畜産が行なわれる。稲作の北限。
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