常称寺
じようしようじ
西国寺山南端山麓にあり、尾陽山願王院と号し、時宗。本尊阿弥陀如来。「芸藩通志」に正応年間(一二八八―九三)遊行二代他阿の開基、文和年間(一三五二―五六)焼亡、足利尊氏が再建、本堂の天井に柏木を用いているので柏堂とも称するとある。境内に玉蔵院・慶徳庵・福泉庵・南之寮・布施屋・数珠屋(松之寮)・台所(召所)があったが、いずれも明治初期に廃絶。
常称寺
じようしようじ
[現在地名]守口市高瀬町二丁目
浄土宗、山号高瀬山、本尊阿弥陀如来。元和四年(一六一八)当寺の珠阿弥の記した常称寺縁起(寺蔵)によれば、天平年間(七二九―七四九)聖武天皇の勅願で行基が創建、華厳宗であったが建治年間(一二七五―七八)一遍が中興し、時宗となる。その後足利義満の命で本堂・三門・鎮守社などを修造。足利家代々の尊崇を受けるが、織田・三好の兵乱で本堂以下を焼失したという。「河内名所図会」には「本尊阿弥陀仏 春日仏沙作、長八寸。薬師仏 行基の作、座像、長五寸許。
常称寺
じようしようじ
[現在地名]茨木市中総持寺町
浄土真宗本願寺派。補陀落山と号し、本尊阿弥陀如来。寺伝によると総持寺を建立した藤原山蔭四世の孫民部卿正雅が、一条天皇の勅を奉じ総持寺の別当職となり、以後子孫が相伝したが、通雅のとき蓮如に帰依。通雅は名を西玄と改め、別当職を総持寺の寺僧に付し、自らは別に一宇を創建し、常称寺と名付けたという。そのため総持寺とは古来関係が深く、総持寺の恒例法会には必ず参加することになっていたともいう(大阪府史蹟名勝天然記念物)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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常称寺
広島県尾道市にある時宗の寺院。鎌倉時代後期の創建と伝わる。本堂、観音堂などが国の重要文化財に指定されている。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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