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幡随院長兵衛 ばんずいいんちょうべえ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

幡随院長兵衛
ばんずいいんちょうべえ

[生]元和8(1622).肥前
[没]明暦3(1657).江戸
江戸時代初期の侠客。本名を塚本伊太郎といい,浪人の子。江戸幡随院の住職向導に助命され,浅草花川戸に住み奉公人を周旋する口入れ稼業をしていた。豪胆な性格で紛争をうまくさばくところから町奴の頭領に推挙され名声を得た。

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デジタル大辞泉の解説

ばんずいいん‐ちょうべえ〔バンズイヰンチヤウベヱ〕【幡随院長兵衛】

[1622?~1657?]江戸初期の侠客。肥前の人。本名、塚本伊太郎。江戸の浅草花川戸に住み、町奴の頭領として、水野十郎左衛門を党首とする旗本奴と争い、水野邸で殺害された。歌舞伎狂言浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」などのほか、講談・小説などに脚色される。

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百科事典マイペディアの解説

幡随院長兵衛【ばんずいいんちょうべえ】

江戸初期の侠客(きょうかく)。幡随院の住職と親交があったことから,幡随院を名乗ったという。武家の出身で,江戸浅草花川戸に住み人夫口入業を営み,町奴(まちやっこ)の頭領。
→関連項目侠客町奴

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

幡随院長兵衛 ばんずいいん-ちょうべえ

?-1657 江戸時代前期の侠客(きょうかく)。
肥前唐津(からつ)藩(佐賀県)藩士の子で,江戸花川戸(はなかわど)にすむ。口入れを稼業として町奴(まちやっこ)の頭領となり,旗本奴の水野十郎左衛門らと対立。明暦3年7月18日殺された。歌舞伎,講談などで男伊達(おとこだて)の典型とされた。河竹黙阿弥作「極付(きわめつき)幡随長兵衛」が有名。本名は塚本伊太郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

幡随院長兵衛

没年:明暦3(1657)
生年:元和8?(1622)
没年には慶安3(1650)年説もある。江戸初期の町奴の頭領。旗本奴の頭領水野十郎左衛門と対立,謀殺されたことで民衆の英雄像となり,多くの芝居,講談などの主人公となった。実説では肥前唐津藩士の子で本名塚本伊太郎。長じて江戸花川戸に住み,幡随院の僧との関係から幡随院と名乗り,大名旗本に奉公人を斡旋する口入れを稼業とした。早くから歌舞伎に仕組まれたが,初代桜田治助,4代目鶴屋南北などの諸作で白井権八・小紫 の情話と綯いまぜたストーリーが完成した。明治に入り河竹黙阿弥が「極附幡随長兵衛」で実説に返し,水野邸の湯殿で騙し討ちにあう場面などリアルな長兵衛像を創った。

(上村以和於)

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江戸・東京人物辞典の解説

幡随院長兵衛

1622?〜1657(??年〜明暦3年)【町奴】「人は一代、名は末代」黙阿弥の歌舞伎で人気になったアウトロー。 江戸初期の狭客。浅草花川戸の町奴の頭目。戦国時代が終わると、安定した社会からあぶれた旗本武士や町人が多数江戸に発生、奴と呼ばれる無頼の徒になった。幡随院長兵衛は、大名・旗本への奉公人の口入屋を営んでいた。1657年、旗本奴水野十郎左衛門と口論となり、無礼討にされたが、その背景には旗本奴と町奴の勢力争いがある。この事件が後年、黙阿弥の芝居や講談で取り上げられ、有名になった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ばんずいいんちょうべえ【幡随院長兵衛】

?‐1657(明暦3)
江戸前期,江戸で名のあった町奴(まちやつこ)。〈町六法ノ頭取イタシ候者〉(《承寛襍録》)と表現しているものもある。武家の出身で江戸花川戸に住み,口入れを稼業としていたが任俠の風に富み,町奴の頭目となった。幡随院住職と親しかったので,幡随院を名のったといわれている。1657年7月,旗本水野十郎左衛門に殺害された。長兵衛について伝えられる話は,歌舞伎,講談などで作られたものが多い。【林 亮勝】
[作品化]
 歌舞伎では《碝(さざれいし)末広源氏》(1744年1月,中村座)に長兵衛が登場したのが早い。

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大辞林 第三版の解説

ばんずいいんちょうべえ【幡随院長兵衛】

1622~1657?) 江戸初期の俠客。肥前の武士の出という。江戸浅草花川戸で口入れ屋を営み町奴の頭領となったが、旗本奴の水野十郎左衛門と争い殺された。歌舞伎「浮世柄うきよづか比翼稲妻」「極付きわめつき幡随長兵衛」などに脚色された。 → 鈴ヶ森湯殿の長兵衛

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

幡随院長兵衛
ばんずいいんちょうべえ
(1622?―?)

江戸初期の侠客(きょうかく)。幡随長兵衛ともよばれる。肥前(ひぜん)唐津の浪人の子で、本名を塚本伊太郎と称したという。人を殺して死罪になるところを幡随院の住職に救われ町人になったという説と、住職の親族だったという説がある。江戸・花川戸に住み、大名・旗本へ奉公人を斡旋(あっせん)する貸元業を始めたが、腕と度胸、強い統率力が役だち、侠気を売り物とする男伊達(おとこだて)としても成功、当時の戦国の気風が残る豪放な世相を反映して、市中を闊歩(かっぽ)していた唐犬(とうけん)権兵衛、放駒(はなれごま)四郎兵衛らの町奴(まちやっこ)の首領格となった。その結果、水野十郎左衛門の率いる旗本奴との対立が高じ、水野邸の湯殿で殺された。1650年(慶安3)とも57年(明暦3)ともいう。
 その生涯は歌舞伎(かぶき)、講釈をはじめ、明治以降は小説、映画などに数多く脚色された。とくに江戸期の歌舞伎脚本は、史実では時代の異なる白井権八と三浦屋小紫の情話に絡ませて扱うことが多く、一つの脚本系列をなしている。おもな作品は、初世桜田治助(じすけ)作『幡随長兵衛精進俎板(しょうじんまないた)』(1803)、4世鶴屋南北(なんぼく)の『浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなずま)』(1823)などで、とくに後者で長兵衛と権八が初めて対面する「鈴ヶ森」の場面が有名。今日では、明治期に実録本に沿って河竹黙阿弥(もくあみ)が書いた『極付(きわめつけ)幡随長兵衛』(1881)がもっともよく上演される。[松井俊諭]

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世界大百科事典内の幡随院長兵衛の言及

【俠客物】より

…雁金五人男は1702年9月大坂岡本文弥座上演の人形浄瑠璃《雁金文七秋の霜》が最初で,《男作五雁金(おとこだていつつかりがね)》(1742年7月大坂竹本座,竹田出雲作)など多くの作を生んだ。また上方では黒船忠右衛門,梅の由兵衛など,歌舞伎・人形浄瑠璃に数々の俠客物が生まれたが,一方江戸でも,79年(安永8)7月肥前座所演の人形浄瑠璃《驪山(めぐろ)比翼塚》(源平藤橘ら作)以降の幡随院長兵衛の劇化,また1713年(正徳3)4月山村座《花館愛護桜(はなやかたあいごのさくら)》以降の十八番系の助六劇が盛行し,江戸っ子精神を代表する任俠としてもてはやされた。本朝丸綱五郎や朝比奈藤兵衛など実在しない俠客も創作され,77年5月中村座《本町育浮名花聟(ほんちようそだちうきなのはなむこ)》,1760年(宝暦10)7月竹本座《極彩色娘扇(ごくさいしきむすめおうぎ)》などの情話中の任俠として描かれている。…

【権八小紫物】より

…以上,目黒に残る比翼塚の由来による。これに,時代にずれがあって関係ないはずの俠客幡随院長兵衛を結びつけて脚色したものが多い。その最初は1779年(安永8)5月江戸森田座の《江戸名所緑曾我(えどめいしよみどりそが)》で,7月江戸肥前座には人形浄瑠璃の《驪山比翼塚(めぐろひよくづか)》が登場した。…

【水野十郎左衛門】より

…江戸前期の旗本。町奴幡随院長兵衛と対抗した旗本奴の頭目として喧伝されている。幼名百助,はじめ貞義と名のったが,のち成之(なりゆき)と改めた。…

※「幡随院長兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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