平沢計七(読み)ヒラサワ ケイシチ

20世紀日本人名事典 「平沢計七」の解説

平沢 計七
ヒラサワ ケイシチ

大正期の労働運動家,劇作家,小説家 プロレタリア演劇運動先駆者。



生年
明治22(1889)年7月14日

没年
大正12(1923)年9月4日

出生地
新潟県小千谷町(現・小千谷市)

出身地
埼玉県大宮市

旧姓(旧名)
田中

別名
号=紫魂

学歴〔年〕
高小卒

経歴
日本鉄道大宮工場付属の職工見習生教場で、近代的鍛冶工の技術を学ぶ。この頃から「文章世界」などに投稿。大宮工場、鉄道院新橋工場、同院浜松工場に勤務し、そのかたわら小山内薫に師事して、明治44年戯曲夜行軍」を発表。大正3年南葛飾郡大島町の東京スプリング製作所に就職し、友愛会に入って大島支部を組織し、5年本部書記となり、機関誌労働及産業」の編集に従事。7年出版部長に就任。8年小説・戯曲集「創作・労働問題」を刊行。9年友愛会を脱退し、純労働者組合を結成、主事。10年労働劇団を組織して自作品を上演、プロレタリア演劇の先駆者となる。「新組織」「労働週報」などの編集に携わり、日本鋳鋼所、関東車輌工組合などの争議を指導。12年9月1日に起こった関東大震災直後の混乱に乗じて亀戸警察署に検束され、虐殺された(亀戸事件)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平沢計七」の意味・わかりやすい解説

平沢計七
ひらさわけいしち
(1889―1923)

大正時代の労働運動家、作家。明治22年7月14日新潟県に生まれ、高等小学校卒業とともに職工生活に入った。1914年(大正3)友愛会に入会、労働運動に携わり多くの労働争議を指導した。20年同会を脱会してのちは純労働者組合を結成してさらに運動に励んだ。この間、労働者に題材をとった小説、戯曲を多数発表、労働者文学樹立に大きく貢献した。とくに21年には劇団を組織し、自作の労働劇を上演する試みも行っている。23年(大正12)9月3日、関東大震災の混乱のさなか、亀戸(かめいど)署に拘引され、4日川合義虎(かわいよしとら)ら9名とともに軍隊の手で虐殺された(亀戸事件)。

[成田龍一]

『小田切秀雄編『平沢計七集』(1955・青木書店)』『松本克平著『日本社会主義演劇史』(1975・筑摩書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「平沢計七」の意味・わかりやすい解説

平沢計七 (ひらさわけいしち)
生没年:1889-1923(明治22-大正12)

労働組合運動家。新潟県生れ。日本鉄道大宮工場,鉄道院浜松工場で働いた。1914年友愛会へ入会し,上京する。16年本部常任書記,18年出版部長,19年城東連合会会長を歴任する。この間機関誌《労働及産業》に戯曲《工場法》はじめ多くの作品を発表した。20年友愛会を脱退し,純労働者組合を結成。また労働者のための演劇をめざす劇団を創設した。22年サンディカリスム系の立場から労働組合総連合結成に努力。23年9月亀戸事件で官憲により虐殺された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「平沢計七」の解説

平沢計七

没年:大正12.9.4(1923)
生年:明治22.7.14(1889)
明治大正期の労働運動家,初期のプロレタリア作家。現在の新潟県小千谷市に生まれ,日本鉄道大宮工場時代から投稿を始め,大正3(1914)年に友愛会に入会後,機関誌に小説,戯曲を発表する。7年に出版部長となるが,9年に友愛会を脱退し,純労働者組合を結成。労働者向けの劇団を組織するとともに,労働争議の指導に当たった。12年9月の関東大震災時に亀戸警察署に連行され,習志野騎兵連隊の兵士に刺殺されたとされている。<著作>『一つの先駆』<参考文献>西田勝『近代文学の発掘』,松本克平『日本社会主義演劇史』

(有馬学)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平沢計七」の解説

平沢計七 ひらさわ-けいしち

1889-1923 大正時代の労働運動家,小説家。
明治22年7月14日生まれ。大正3年友愛会にはいり,機関誌に作品を発表。のち脱会し,純労働者組合を創立。また労働劇団を組織する。関東大震災直後の大正12年9月4日亀戸(かめいど)署で官憲に殺された(亀戸事件)。35歳。新潟県出身。著作に「創作・労働問題」など。
【格言など】人間が一番こたえるのは,自分の身が痛い時だ(「創作・労働問題」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平沢計七」の解説

平沢 計七 (ひらさわ けいしち)

生年月日:1889年7月14日
大正時代の労働運動家;劇作家;小説家
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の平沢計七の言及

【亀戸事件】より

…1923年9月1日に起こった関東大震災の混乱に乗じ,東京亀戸警察署で9名の労働運動家が虐殺された事件。9月3日,元友愛会幹部・元純労働者組合組合長平沢計七,共産青年同盟委員長・南葛労働会組合員川合義虎らが亀戸警察署に拘留され,同夜から5日未明の間に騎兵第13連隊の兵士によって殺された。10月10日に事件が発表されたが,事件発生直後から南葛労働会,総同盟などの労働組合と自由法曹団が真相究明に乗りだした。…

【職場演劇】より

…このような演劇活動はいうまでもなく世界各国に見られ,とくに第1次世界大戦後のドイツで盛んであったが,それらについては〈プロレタリア演劇〉〈アマチュア演劇〉などの項にゆずることとし,ここでは日本における職場演劇の成立,展開について述べることにする。 日本の労働運動のなかでは,すでに大正期に自主的な演劇サークルが誕生し,平沢計七らの戯曲創作もあったが,盛んになったのは昭和初めのプロレタリア演劇運動の進展においてであった。1928年に創立されたプロット(日本プロレタリア演劇同盟)は職場,農村,学校での自主的演劇の成長をスローガンに掲げて,最盛期には200余の演劇サークルが活動を行っていた。…

【新劇】より

… このような文学座に集約される流れに対し,国家権力と戦いながら反体制的態度を貫く一群の新劇活動も強力に展開された。まず,1921年3月,労働運動家平沢計七の〈労働劇団〉が結成され,それに続く一群のプロレタリア演劇活動の高まりがあった。続いて28年4月には〈東京左翼劇場〉が村山知義らの政治性の強いアピール劇で第1回公演を持ち,34年2月まで活動を続けた。…

【プロレタリア演劇】より

… 日本でも1919年,神戸川崎造船所の争議の後,最初の労働劇団〈日本労働劇団〉が生まれている。また21年には東京の下町で平沢計七による〈労働劇団〉が生まれ,これは平沢が関東大震災で虐殺される(亀戸(かめいど)事件)まで続いた。このような労働者のアマチュア劇団のほか,進歩的芸術家の集団〈種蒔(ま)き社〉や,秋田雨雀,佐々木孝丸(たかまる)らが結成した〈先駆座〉(1923)などの運動もあった。…

※「平沢計七」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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