奈良時代に諸国の常平倉(じようへいそう)を管理するために中央に置かれた物価を調節する役所。常平倉は豊年や秋期の米価の安い時期に購入して蓄え,米価が高騰すると市価より安く放出して米価を安定させ,得られた利潤で京より帰る運脚夫の飢えを救うために設けられた。平準署は常平倉とともに759年(天平宝字3),当時政権を握っていた藤原仲麻呂の建議により設置された。仲麻呂は庶民の苦しみを軽減するための施策を唐の制度に学びながらも積極的に実施した。中国の漢代の平準法の伝統をうけた唐の平準署,常平倉の模倣設置もその一つである。設置時期が橘奈良麻呂の変の後に当たることから,民心の不安を鎮める意味も含まれていたと思われる。平準署は左右に分かれ管轄地域を二分していた。左平準署は東海,東山,北陸の3道を,右平準署は山陰,山陽,南海,西海の4道を管掌し,長官の左・右平準令には五位クラスの者が任命された。平準署の利銭が他の目的に流用されていた例などからみると意図されたように機能していたかどうか疑わしい。存続期間は短く,仲麻呂が没して数年後の771年(宝亀2)に廃止された。
執筆者:舟尾 好正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
759年(天平宝字3)5月に設置された常平倉(じょうへいそう)を管掌する役所。常平倉は、国の大小により割り当て拠出させた公廨(くがい)稲をもとに、米価の安いときに買い、高いときに売った利によって、諸国へ帰還する運脚(うんきゃく)の飢えや病苦を救い、あわせて京内の穀価の安定を図る目的をもって、中国の制に倣い設置された。常平倉のうち、東海・東山・北陸の三道のものは左平準署が、山陰・山陽・南海・西海の四道のものは右平準署が分掌した。その長官とみられる平準令の任官記事が『続日本紀(しょくにほんぎ)』に散見する(天平宝字6年正月戊子条。同7年7月乙卯条)が、存続期間は短く、771年(宝亀2)9月には廃止されている。
[加藤友康]
… 中央政府の主導によるこのような備荒対策が機能していたのは10世紀初頭ころまでで,以後衰退していく。都では,759年設置の左右平準署や,その後たびたび設置された常平司(所)などによって,飢饉の際に穀物,塩などの廉売や賑給が行われた。そのための穀物は,近国から集めたり,穀倉院(9世紀初頭設置)などに蓄えられたりしていた。…
…仲麻呂は唐の制度を多く採用したが,庶民の苦しみを軽減するための施策にも意欲的であった。平準署(へいじゆんしよ),常平倉の設置もその例である。設置時期からすると橘奈良麻呂の変による民心の不安を鎮める意図もあったと思われる。…
※「平準署」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新