平福寺(読み)へいふくじ

日本歴史地名大系 「平福寺」の解説

平福寺
へいふくじ

[現在地名]三郷村大字温 上長尾

黒沢くろざわ川扇状地の末端、段丘下、上長尾集落の西に位置する。真言宗。高野山竜光院末。長徳年間(九九五―九九九)建立と伝える(信府統記)住吉庄の祈願寺。霊場、荘民の祖先の霊の集まる寺として信仰される。昔は新盆の家では新御霊迎えに八月八日にお参りにきたという。本尊聖観音菩薩像(県宝)は藤原時代の作。脇侍不動明王像・毘沙門天像は鎌倉時代の作。「信府統記」によれば、天正年中(一五七三―九二)の兵乱の際、堂宇が焼失し、その焼残りの文書の中に、延慶元年(一三〇八)一〇月二九日、住持貞玄、文保元年(一三一七)住持頼賢、元享二年(一三二二)一一月、住持俊慶、至徳三年(一三八六)一一月三日、住持弘順、観音堂鰐口銘永享三年(一四三一)三月、大檀那讃岐守(西牧)憲兼寄進などの記録があるとしている。


平福寺
へいふくじ

[現在地名]北浦村吉川

真言宗豊山派、塚原山光明院と号し、本尊は不動明王。寺伝によれば寛喜三年(一二三一)栄応の開基で、久しく独立無本寺であったが、延宝五年(一六七七)住職秀林が鹿島神宮寺の秀海から小野方の法流を相伝され、当寺を中興したという。元禄七年(一六九四)京都仁和寺の末寺となり、興学の道場として発展したと伝えられる。弘化年間(一八四四―四八)無住になり、嘉永元年(一八四八)には吉川村檀中惣代・組頭・庄屋連名で鹿島郡はやし(現鹿島郡大野村)広幢こうどう院の弟子を住職に迎えたい旨の願書(吉川区有文書)を寺社奉行所に差出している。


平福寺
へいふくじ

[現在地名]石岡市国府五丁目

石岡の市街地南端、北向きたむき観音堂南隣にある。曹洞宗、春林山と号し、本尊は如意輪観音創建は不明であるが、寺伝によれば、もとは天台宗に属し、天慶年間(九三八―九四七)には役寺として存在したという。明徳二年(一三九一)の西大寺末寺帳(極楽寺文書)に「常陸国平福寺」とあり、鎌倉末期から南北朝期にかけ奈良西大寺流の律の法系に連なる寺であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「平福寺」の解説

平福寺

(長野県安曇野市)
信州の古寺百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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