照光寺(読み)しようこうじ

日本歴史地名大系 「照光寺」の解説

照光寺
しようこうじ

[現在地名]新井市小出雲 長面

市街地の南、経塚山きようづかやま公園入口近くにあり、富士移山対芙蓉園と号し、浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来開基西願坊は天台宗明専みようせん寺で見道と称したが、その後親鸞弟子となり、承元二年(一二〇八)西願の法名を受けた。長禄三年(一四五九)七世孫恵が蓮如から寺号を許され、信濃国水内みのち古海ふるみ(現長野県上水内郡信濃町)に住んだ。永禄元年(一五五八)一〇世慶祐のとき現在地に移り、享保一六年(一七三一)再建という。寺宝十二光仏名号本尊一幅は県指定文化財。

照光寺
しようこうじ

[現在地名]岡谷市本町

岡谷村字寺山てらやまに位置する。城向じようこう山照光寺といい、本尊は金剛界大日如来の木造坐像。台座に正徳三年(一七一三)五月の銘がある。もと諏訪社下社秋宮の別当寺である海岸孤絶山神宮じんぐう寺の末寺で、寛保二年(一七四二)の起立書には「末寺城向山東之坊瑠璃院照光寺」とある。明治初年神宮寺廃寺の後は古義真言宗の嵯峨大覚だいかく寺直末となり、同四四年(一九一一)以後は真言宗智山派に属し、本山は京都智積ちしやく院である。

幾度かの火災により記録を焼失したため由緒・沿革はつまびらかでないが、伝えによると古くは西南方の現成田なるた公園の東辺りにあったという。

照光寺
しようこうじ

[現在地名]世羅町重永

重永しげなが西部にある山の東北山麓、寺谷てらだにの奥に位置し、浄土真宗本願寺派。疇地山と号す。もといち(現御調郡御調町)照源しようげん寺末で、本尊阿弥陀如来。寺伝によると、もと真言宗で善性ぜんしよう寺と称したが、建長年中(一二四九―五六)住持善性が廻国のとき越後で親鸞の弟子になったといい、のちに親鸞の弟子明光が布教の拠点として沼隈郡山南さんな(現沼隈町)に開いた光照こうしよう寺の影響をうけ改宗したとする。

照光寺
しようこうじ

[現在地名]石岡市府中二丁目

浄土宗、雷電山西光院と号し、本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば、応安七年(一三七四)に府中の鹿の子かのこの地に創建されたという。開基は常陸大掾平高幹、開山は下野円通えんつう寺開山良栄の高弟良善で、その後大掾右京大夫の時に七堂伽藍が完成し、府中五大寺の一つとなったという。山号は大掾氏が別雷皇太神を勧請して寺内に鎮守したことにちなむ。その後、佐竹氏と大掾氏の戦火で焼失したが、慶長七年(一六〇二)現在地に佐竹左衛門尉によって再建された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「照光寺」の解説

照光寺

(長野県岡谷市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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