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平等院鳳凰堂 びょうどういんほうおうどう

大辞林 第三版の解説

びょうどういんほうおうどう【平等院鳳凰堂】

平等院にある阿弥陀堂。1053年藤原頼通が造立し無量寿院と号した。建物全体が鳳凰が羽を広げたような形状であることと屋上に銅製の鳳凰があるところから、後世こう呼ばれた。定朝作の阿弥陀如来像を本尊とする。国宝。鳳凰堂。

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世界大百科事典内の平等院鳳凰堂の言及

【極楽】より

…平安時代以降,苦しみに満ちた現世を離れ,阿弥陀仏の救いによって,来世に極楽で永遠の安らぎを得たいとする願望が強まり,阿弥陀仏の名とともに西方極楽浄土の名称は人びとの心にしみついていった。和讃(千観〈極楽国弥陀和讃〉,源信〈極楽六時讃〉など)や今様(《梁塵秘抄》極楽歌),和歌などで極楽のめでたさが盛んにうたわれ,藤原道長の阿弥陀堂(無量寿院),藤原頼通の平等院鳳凰堂など極楽浄土をこの世に現出しようとした仏堂が多く造られた。鳳凰堂は当時〈極楽いぶかしくば,宇治の御寺を敬へ〉と歌われていた。…

【浄土教美術】より

…以後浄土信仰は急速に貴族社会に滲透したが,その際,前者からは定印阿弥陀仏と阿弥陀堂建築が成立し,後者からは迎講(むかえこう),阿弥陀来迎図が生まれる。阿弥陀堂の代表的遺構は11世紀建立の平等院鳳凰堂,法界寺阿弥陀堂,白水阿弥陀堂などであり,葬堂に用いられている中尊寺金色堂も同類である。本尊はいずれも密教系の定印を結ぶ阿弥陀如来である。…

【やまと絵】より

…これらの制作にあたったのは宮廷の絵所に所属する絵師たちであったが,9世紀後半の活躍が知られる巨勢金岡(こせのかなおか)あたりから,そうした傾向が萌しはじめ,続く巨勢派の画人たちや飛鳥部常則,さらに11世紀初頭の巨勢広貴(弘高)に至って,主題および様式・技法がともに日本化した大画面絵画が完成の域に達したものと推察される。1053年(天喜1)落慶の平等院鳳凰堂の扉絵〈阿弥陀九品(くほん)来迎図〉の背景に,宇治近辺の山水・風物を思わせる風景を展開させ,しかも四方の扉ごとに四季の季節感を与えて,堂内全体で四季絵を構成している。阿弥陀聖衆来迎図の傑作としてのみならず,山水風景のそこここに点綴された景物は失われたやまと絵障屛画に代わり,当時の和様化した風景画のあり様を如実に示している。…

※「平等院鳳凰堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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