広厳寺(読み)コウゴンジ

デジタル大辞泉 「広厳寺」の意味・読み・例文・類語

こうごん‐じ〔クワウゴン‐〕【広厳寺】

神戸市中央区にある臨済宗南禅寺派の寺。山号医王山後醍醐天皇勅願によって創建と伝え、開山明極楚俊みんきそしゅん。延元元年(1336)楠木正成一族と郎党自刃した所という。楠寺。

こうげん‐じ〔クワウゲン‐〕【広厳寺】

奈良県明日香村にある浄土真宗本願寺派の寺。→向原寺むくはらでら

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精選版 日本国語大辞典 「広厳寺」の意味・読み・例文・類語

こうごん‐じ クヮウゴン‥【広厳寺】

神戸市中央区楠町にある臨済宗南禅寺派の寺。山号は医王山。元徳二年(一三三〇)後醍醐天皇が創建。開山は明極楚俊(みんきそしゅん)。建武三年(一三三六)楠木正成一族の自刃の地と伝えられる。楠寺。

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日本歴史地名大系 「広厳寺」の解説

広厳寺
こうごんじ

[現在地名]中央区楠町七丁目

みなと川の東方、大倉おおくら山の南東麓にある臨済宗南禅寺派の寺院。医王山と号し、本尊薬師如来。建武三年(一三三六)一一月二七日の明極禅師広厳開基縁起(広厳寺旧蔵)によれば、中国より渡来した明極楚俊を開山として元徳元年(一三二九)創建、後醍醐天皇の勅願寺で医王山広厳宝勝禅寺と号した。仏殿は「ママ璃殿」と号し、薬師如来を安置していた。帰源庵・直指院・即心院(赤松円心建立)・見性院(吉河貞勝建立)・無為庵・向上庵など一三の塔頭があった。

広厳寺
こうごんじ

[現在地名]伊万里市二里町大里乙字福母

烏帽子えぼし岳の東麓にある。山号は医王山。曹洞宗。本尊は薬師如来。やま寺の総持てらのそうじ寺開山不鉄の高弟太田守桂の開山で、総持寺が廃寺となりこれに代わるものとして寛永元年(一六二四)こし中腹の現二里町古子の大窪ふつこのおおくぼの地に建立された。

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世界大百科事典(旧版)内の広厳寺の言及

【豊浦寺】より

…奈良県高市郡明日香村にあった古代寺院。浄土真宗の広厳(向原)(こうげん)寺がその後身と伝える。建興寺とも称し,飛鳥寺(法興寺)と並ぶ日本最古の寺院。…

※「広厳寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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