精選版 日本国語大辞典 「建部遯吾」の意味・読み・例文・類語
たけべ‐とんご【建部遯吾】
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社会学者。明治4年3月21日新潟県生まれ。1896年(明治29)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。ヨーロッパ留学後、1898年より1922年(大正11)退職するまで、同大学社会学講座の初代教授を務めた。退職後は衆議院議員、貴族院議員として政界で活躍した。コントの影響を強く受け、その有機体的社会観を自己の儒教的世界観に合体させ、独自の日本的社会学体系を樹立し、家族国家観の一端を担った。社会を「衆人の協同生活の有機的渾一(こんいつ)体」であるとし、また「国の社会的単位は、家にして個人にあらず」として、個人主義、民主主義の立場に反対した。また、日露戦争の開戦論を唱えたいわゆる七博士(しちはかせ)の行動に加わった対ロシア強硬論者でもあった。東京帝国大学に社会学研究室を開設し、また日本社会学院(日本社会学会の前身)を主宰し、「帝国教育の根本方針」を打ち出すなど、国家主義的社会学の樹立と発展に大きく寄与した。著書に『理論普通社会学』全4巻(1904~1918)、『戦争論』(1906)、『哲学大観』(1912)、『都会生活と村落生活』(1915)、『教政学』(1920)、『応用社会学十講』(1927)などがある。昭和20年2月18日死去。
[河村 望]
『『理論普通社会学』全4巻(1904~1918・金港堂)』▽『『教政学』(1921・同文舘出版)』▽『『応用社会学十講』(1927・同文舘出版)』
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…1923年アメリカでは〈全国教育社会学会〉が設立され,さらに27年からは《教育社会学雑誌》が発刊されるに至った。日本では,大正初期に建部遯吾,遠藤隆吉らの社会学者が教育に対する関心を示し,さらに田制佐重,市川一郎らによってアメリカ教育社会学の概説書の邦訳,紹介がなされた。大正・昭和を通じて戦前期には,ドイツ,フランスなどの教育社会学の動向が紹介されたが,本格的な教育社会学の研究が開始されたのは第2次大戦後のことである。…
※「建部遯吾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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