コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

弁円/辨円 ベンエン

世界大百科事典 第2版の解説

べんえん【弁円】

1202‐80(建仁2‐弘安3)
鎌倉中期の臨済宗の僧。字は円爾(えんに)。諡(おくりな)は聖一(しよういち)国師。駿河国(静岡県)の人。5歳で久能山の尭弁(ぎようべん)について《俱舎頌(くしやじゆ)》を学び,18歳のとき園城(おんじよう)寺(三井寺)に赴いて天台密教を修め,ついで東大寺に登壇受戒した。一方,上野(こうずけ)長楽寺の栄朝,鎌倉寿福寺の行勇に参じ,黄竜(おうりよう)派の臨済禅をも学んだ。1235年(嘉禎1)入宋し,天童山の癡絶道冲(ちぜつどうちゆう)ら各山の禅匠を歴参したのち,径山(きんざん)の無準師範(ぶしゆんしばん)に随従し,彼の法を継いだ。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

べんえん【弁円】

1202~1280) 鎌倉時代の臨済宗の僧。諱いみなは円爾えんに。諡号しごうは聖一国師。駿河の人。1235年宋に渡り、帰国後は九州に禅法を広め、藤原道家の招きで上洛して東福寺開山となる。鎌倉の寿福寺、京都の建仁寺に歴住。東福寺派の祖。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

弁円
べんえん

円爾弁円」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

弁円
べんえん

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の弁円/辨円の言及

【崇福寺】より

…山号は横岳山。1241年(仁治2)随乗房湛慧が大宰府横岳に建立し円爾弁円を開山とした。43年(寛元1)官寺に列せられ,71年(文永8)南浦紹明も入寺し,80年(弘安3)には東福寺下に属した。…

【東福寺】より

…山号は恵日山(えにちさん)。開基は九条道家,開山は円爾弁円(えんにべんえん)(聖一(しよういち)国師)。京都五山の一つ。…

【墨跡】より

…ちょうどそのころから日本の禅僧が相次いで入宋,入元し,参禅修行の証拠とするために諸師の書を競って持ち帰ったが,それらを中国での用法にならって誰々の墨跡と呼んでいるうちに,墨跡という言葉は,禅林における書だけをさすようになった。墨跡の語が日本でいちばん早く使われた例としては,京都東福寺の開山,円爾弁円(聖一国師)が1241年(仁治2)帰朝のとき将来した儒仏道3教の典籍目録をあげることができる。同目録中に,〈古人墨跡等〉と見えている。…

【臨済宗】より

… 日本に初めて本格的な臨済禅をもたらした栄西は,虚庵懐敞(こあんえじよう)に嗣法して黄竜派の臨済禅をもち帰った。しかし,円爾弁円(えんにべんえん)(弁円)などその後の入宋僧の多くは,破庵派の無準師範(ぶしゆんしばん)の法系に連なっている。また,宋からの渡来禅僧も密庵の法系が多かったから,総じて日本に流入した臨済宗は,楊岐派,なかでも密庵系であったということができる。…

※「弁円/辨円」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報