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張九齢 ちょうきゅうれいZhang Jiu-ling

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張九齢
ちょうきゅうれい
Zhang Jiu-ling

[生]咸亨4(673)/儀鳳3(678)
[没]開元28(740)
中国,初唐~盛唐の政治家,詩人。韶州 (しょうしゅう) 曲江 (広東省) の人。字,子寿。諡は文献。曲江公といわれた。長安2 (702) 年進士に及第。張説 (ちょうえつ) に引立てられ,校書郎,左拾遺を経て中書舎人となった。その後地方官を歴任したが,開元 22 (734) 年中書令に進み,張説のあとを継いで玄宗の治政を助けた。しかし門閥官僚の李林甫に中傷され,荊州 (湖北省江陵) 長史に左遷されて終った。張説死後の詩壇の中心で,代表作『感遇』 12首は李林甫によって地位を追われたときの感慨を詠じたもの。陳子昂 (ちんすごう) の『感遇詩』 38首を受け,漢詩,魏詩への復古を志向した。詩文集曲江張先生集』。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐きゅうれい〔チヤウキウレイ〕【張九齢】

[673~740]中国、の政治家・詩人。韶(しょう)州曲江(広東省)の人。字(あざな)は子寿。玄宗に重用されて中書令となったが、唐の宗室出身の李林甫に憎まれて失脚。文集「曲江集」。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうきゅうれい【張九齢 Zhāng Jiǔ líng】

673‐740
中国,唐代の宰相。字は子寿または博物。韶州(広東省)曲江県に生まれ,曲江先生と称せられた。玄宗朝の文人宰相張説(ちようえつ)に認められ,進士科に挙げられ中書舎人となり,734年(開元22)には中書令に移り嶺南出身者としては初めて宰相となった。当時の政界は門閥貴族出身者と科挙出身者との間に確執があり,前者を代表する李林甫が前後して宰相となったため,後者を代表する張九齢とことごとに対立し,736年ついに張九齢は荆州大都督府長史へ左遷され,のち故郷へ帰りまもなく病没した。

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大辞林 第三版の解説

ちょうきゅうれい【張九齢】

673~740) 中国、唐代の政治家・詩人。字あざなは子寿。玄宗の宰相となるが、李林甫と対立して左遷。詩の復古運動に尽くしたことで知られる。文集に「曲江集」がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張九齢
ちょうきゅうれい
(678―740)

中国、盛唐の名相。韶州(しょうしゅう)曲江(広東(カントン))の人。字(あざな)は子寿(しじゅ)、一名、博物。文才に富み25歳で進士、文人宰相張説(ちょうえつ)に重んぜられ栄進。左拾遺のとき、玄宗帝の誕生日に諸臣が宝鑑(ほうかん)(鏡)を献じた際、彼は『千秋金鑑録』と題する勧戒十章を奉り諫官(かんかん)の誠意を示した。733年中書侍郎同中書門下平章事、翌年張説にかわって中書令に進み、曲江県男に封ぜられた。朝廷では硬骨漢として聞こえ、宗室の李林甫(りりんぽ)や軍人牛仙客の登用に反対し、帝をいさめたが聞き入れられず、のち李林甫の発言力が増すとにらまれて左遷された。彼は古典風の詩文に優れ、文集20巻を伝え、その詩「感遇(かんぐう)」は『唐詩選』に収められ人口に膾炙(かいしゃ)している。[池田 温]

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世界大百科事典内の張九齢の言及

【李林甫】より

…〈口に蜜あり,腹に剣あり〉とその奸佞(かんねい)ぶりを評されるが,学問,教養は乏しかったものの機を見るに敏かつ実務に優れた能吏であり,玄宗の信任を深めた。このため学者肌の張九齢らとあわず,陥穽(かんせい)をめぐらせて張九齢を追い,みずからがかわって中書令として実権を握った。この争いには,貴族出身官僚と科挙出身官僚との対立が背景にあったともいわれる。…

※「張九齢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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