日本大百科全書(ニッポニカ) 「張瑞図」の意味・わかりやすい解説
張瑞図
ちょうずいと
(1570―1644ころ)
中国、明(みん)末の書家、画家。米万鐘(べいばんしょう)、董其昌(とうきしょう)、邢侗(けいどう)とともに明末の書の四大家の1人。字(あざな)は長公、号は二水、白毫菴(はくごうあん)など。福建省晋江県の人で、1607年(万暦35)に進士となり、殿試(進士の登用試験)で第三番となったので、翰林院(かんりんいん)編修から礼部尚書に至り、天啓年間には武英殿大学士にまで上り、行政の枢要な地位についたが、派閥の対立のなかで失脚し罷免され、余生を詩書画の生活に送った。熱情的な草書を書き、画(え)にも優れ、その山水画は黄公望(こうこうぼう)の画風を学んで、蒼勁(そうけい)の趣(おもむき)がある。中国ではその経歴のため人物、作品ともに軽視したが、日本では彼の書画を好む者多く、舶載されて称賛された。田能村竹田(たのむらちくでん)も『山中人饒舌(じょうぜつ)』中でその墨竹をたたえ、弟の潜夫が母を連れて日本にきたという伝えも載せて、彼の人生に同情を寄せている。
[星山晋也]