後三年合戦絵巻(読み)ごさんねんかっせんえまき

改訂新版 世界大百科事典 「後三年合戦絵巻」の意味・わかりやすい解説

後三年合戦絵巻 (ごさんねんかっせんえまき)

鎌倉時代の代表的戦記絵巻後三年の役ははやくから画題にされ,1171年(承安1)には後白河法皇院宣により絵巻4巻が描かれたことが知られている。現存する東京国立博物館本は,当初6巻であったものの後半の3巻で,上巻は清原家衡らが金沢へ移り源義家の軍が攻略に向かう場面で,義家が空を飛ぶ雁の列の乱れから敵の伏兵を知るという有名な逸話を含む。中巻は金沢柵攻防を,下巻は金沢柵落城とその後の苛酷な処刑場面を描く。序文により,1347年(正平2・貞和3)に比叡山で企画され,詞を僧玄慧(げんえ)(?-1350)がつくり,絵は飛驒守惟久(これひさ)が描いたことが知られる。制作年代や画家の知られる基準作として重要である。
筆者

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「後三年合戦絵巻」の解説

後三年合戦絵巻
ごさんねんかっせんえまき

奥州清原氏の内紛に源義家が介入して鎮定した後三年の役を描く絵巻。現存は3巻だが,上巻よりも前にあるべき部分を欠くことなどから,もとは6巻であったと推測される。これに序文1巻が付属。法印大僧都玄慧(げんえ)が記した序文の内容から,1347年(貞和3・正平2)の作。現存する3巻の詞書(ことばがき)筆者は上巻より,土御門(つちみかど)仲直・持明院保脩・世尊寺行忠。絵は飛騨守惟久(これひさ)筆で,合戦の凄惨な場面を余すところなく描きだす。後三年の役を扱った絵巻としてはほかに,1171年(承安元)後白河法皇の命により法印静賢が絵師明実につくらせた4巻本があったことが,「吉記」や「康富記」からわかる。紙本着色。縦45.5cm,各巻横1820~1948cm。東京国立博物館蔵。重文

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後三年合戦絵巻」の意味・わかりやすい解説

後三年合戦絵巻
ごさんねんかっせんえまき

後三年の役 (1083~87) を描いた絵巻。貞和3 (1347) 年の作。紙本着色,3巻,別に序文1巻。東京国立博物館蔵。詞は比叡山の僧玄慧 (げんえ) の起草,絵は飛騨守巨勢惟久 (こせこれひさ) 筆で,詞書は仲直,持明院保脩,世尊寺行忠が各巻を分担書写している。元来は6巻であったが現在前半の3巻は失われている。克明な描写が特色。なお,後白河法皇の院宣による明実筆の『後三年合戦絵巻』 (1171) は,合戦絵巻の始りとされるが伝存しない。

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旺文社日本史事典 三訂版 「後三年合戦絵巻」の解説

後三年合戦絵巻
ごさんねんかっせんえまき

南北朝時代の絵巻物
14世紀ころ成立。6巻あるいは4巻,現存3巻。序は玄慧がつくり,尊円入道親王の筆になり,絵は飛驒守惟久 (これひさ) ,詞書は土御門 (つちみかど) 仲直・持明院保修・世尊寺行忠らによる。源義家が陸奥守として,後三年の役を鎮定したことを描いたもの。

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世界大百科事典(旧版)内の後三年合戦絵巻の言及

【合戦絵】より

…いくさ物語の絵巻化として平安時代末に現れた。後白河法皇の命で1171年(承安1)につくられた《後三年合戦絵巻》(東京国立博物館)が文献上もっとも古い。鎌倉時代に流行し,《平治物語絵巻》(ボストン美術館その他),《蒙古襲来絵詞》(宮内庁)などの作品が残る。…

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