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平安中期の公卿(くぎょう)。高明(たかあきら)の孫。俊賢(としかた)の二男。蔵人頭(くろうどのとう)、皇后宮大夫(だいぶ)などを歴任して権大納言(ごんだいなごん)となる。宇治(うじ)の南泉坊に住んでいたことがあって、宇治大納言とよばれる。南泉坊で僧俗の中心となり、浄土教の論書『安養集』を編んだ。『往生要集』を継ぎ、経典などの要文を抄出したもので、1067年(治暦3)までには成るか。また、『宇治拾遺(うじしゅうい)物語』の序文によれば、南泉坊で往来の人々に物語を語らせ、これを書き留めて説話集をつくったという。この作品は伝存しないが、『宇治大納言物語』として諸書に逸文がみえる。『今昔(こんじゃく)物語集』『梅沢本古本説話集』『宇治拾遺物語』などの資料ともなったと考えられ、院政期、鎌倉期の説話集の源流の一つである。
[森 正人]
『『日本文学研究資料叢書 今昔物語集』(1970・有精堂出版)』
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1004~77.7.9
宇治大納言とも。平安後期の公卿。幼名宗国。大納言俊賢(としかた)の次男。母は藤原忠尹の女。1014年(長和3)従五位下。侍従・伊予介・右近衛権中将・蔵人頭などを歴任し,34年(長元7)従三位・参議。43年(長久4)権中納言。61年(康平4)権中納言を辞し,子の俊明を加賀守に申任。67年(治暦3)権大納言。時に正二位。74年(承保元)権大納言を辞し,外孫藤原師兼を申任。「宇治大納言物語」(散逸)の作者とされる。
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…標題のみを残す19話,標題と本文の一部を残す説話を含めて,1059話を収録。
[編者と成立]
《宇治拾遺物語》の序に,宇治大納言源隆国(みなもとのたかくに)が納涼のために宇治平等院の南泉房(なんせんぼう)に籠り,往来の諸人の昔物語を記録したものが《宇治大納言物語》であり,増補されて世に行われている,とある。従来は,この《宇治大納言物語》が本書と同一視され,本書は隆国の編とされていたが,収録説話に隆国没後の記事を含むこと,隆国の編としては説明の困難な誤りを含むことなどが指摘され,隆国編纂説はそのままでは受け入れられなくなった。…
※「源隆国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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