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旧徳川将軍家第16代当主、政治家。初め亀之助(かめのすけ)と称す。田安(たやす)家(徳川慶頼(よしより))の三男として生まれ、1865年(慶応1)家を継いだ。1868年(慶応4)前将軍慶喜(よしのぶ)が死一等を免ぜられたのち、新政府から徳川宗家(そうけ)の相続を命ぜられ、家達と改名、5月に駿河(するが)・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河(愛知県)70万石に転じ、翌年、版籍奉還により静岡藩知事となった。1877年(明治10)から1882年までイギリス留学、1884年公爵となり、1890年貴族院議員、1903年(明治36)同議長につき以後30年間同職にあった。その間、1914年(大正3)には、組閣の内命があったが辞退した。日本赤十字社社長、済生会会長などの名誉職に任じ、ワシントン軍縮会議の全権委員も務めた。
[井上勝生]
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徳川家第16代当主,政治家。田安慶頼の三男。明治維新後,徳川宗家を相続,1869年(明治2)版籍奉還により静岡藩知事となる。廃藩置県後,77年イギリスに留学,82年帰国し,84年公爵となる。90年議会開設とともに貴族院議員となり,1903年から33年まで議長を務める。その間,14年山本権兵衛内閣辞職の際,組閣の内命があったが固辞。日本赤十字社社長,済生会会長などを歴任,ワシントン会議にも列席した。
執筆者:伊藤 之雄
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(西尾林太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
1863.7.11~1940.6.5
明治~昭和前期の政治家。徳川(田安)慶頼(よしより)の三男。幼名亀之助。徳川慶喜(よしのぶ)の養嗣子。1868年(明治元)静岡70万石をつぎ,版籍奉還後は静岡藩知事。77年イギリス留学,84年公爵,1903年以来貴族院議長5回。第1次山本内閣の辞職で後継首班に推されたが固辞。ワシントン会議では全権委員を務め,日本赤十字社社長,済生会・協調会の会長など多彩な活躍をした。
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…4月4日,勅使橋本実梁(さねやな)と柳原前光が入城して朝旨を伝え,4月11日,江戸城は開城し,21日,大総督宮,各先鋒総督および参謀が入城し,接収を完了した。徳川家は,田安亀之助(徳川家達(いえさと))が相続,駿河70万石に移封され,慶喜も同地へ移った。7月17日,天皇の詔書により江戸は東京と改称され,10月,江戸城も東京城と改められた。…
※「徳川家達」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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