デジタル大辞泉 「志太野坡」の意味・読み・例文・類語 しだ‐やば【志太野坡】 [1662~1740]江戸中期の俳人。蕉門十哲の一人。越前の人。姓は志田とも。初号、野馬。「炭俵」の撰者の一人。西国を遊歴、大坂高津野に庵を結んだ。句集「野坡吟艸」など。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「志太野坡」の意味・読み・例文・類語 しだ‐やば【志太野坡】 江戸前期の俳人。越前の人。江戸に出て、越後屋両替店の番頭となる。貞享二~三年(一六八五‐八六)ごろ、芭蕉の門にはいる。初号野馬、別号樗子、無名庵など。蕉門十哲の一人。元祿七年(一六九四)小泉孤屋(こおく)、池田利牛(りぎゅう)とともに「炭俵」を編纂。作風は「かるみ」をもっぱらとし、平淡で庶民的。芭蕉没後、大坂に移住、上方および中国・九州地方に蕉風をひろめた。句集に「野坡吟艸」がある。寛文二~元文五年(一六六二‐一七四〇) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「志太野坡」の解説 志太野坡 しだ-やば 1662-1740 江戸時代前期-中期の俳人。寛文2年生まれ。江戸の越後屋両替店につとめる。松尾芭蕉(ばしょう)にまなび,元禄(げんろく)7年(1694)小泉孤屋らと「炭俵」を編集。宝永元年大坂にうつり,中国・九州地方を行脚(あんぎゃ)し,西国におおくの門弟を擁した。編著に「放生日」。元文5年1月3日死去。79歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。姓は志田ともかく。別姓に竹田。通称は弥助。別号に野馬,樗子(ちょし),浅生(あさお)庵など。【格言など】ちからなや膝をかゝへて冬籠り(「枯尾花」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例