デジタル大辞泉 「成年」の意味・読み・例文・類語
せい‐ねん【成年】
[補説]明治29年(1896)の民法制定以来、成年は満20歳だったが、令和4年(2022)4月、改正民法施行により満18歳に引き下げられた。飲酒・喫煙・公営競技をしてよい年齢、国民年金への加入義務年齢などは、民法改正後も満20歳のまま。なお、天皇・皇太子・皇太孫は皇室典範により、以前から満18歳を成年としていた(他の皇族は満20歳だったが民法改正に伴い満18歳となった)。
[類語]成人・アダルト・
人が一人前と認められる年齢のことであるが,何歳をもって成年とするかは,社会や国あるいは時代によって異なる。また,さまざまな儀礼が伴うことが多い。
日本古代の律令に規定される年齢区分では,男子は課役賦課対象の21歳以上の正丁を成人とみなしている。ただし17~20歳(少丁・中男)を16歳以下と区別して一部の課役賦課を開始する年齢としていた。《日本書紀》崇峻即位前紀に男子の髪形が15,16歳と17,18歳で大幅に変化する古俗を記しており,17歳に区切りをおいたことは,当時の民間の年齢区分となんらかのかかわりも予想される。しかし課役賦課の区分としての17歳は757年(天平宝字1)に政策によって1歳引き上げられた。一方,男15歳,女13歳を婚姻許可年齢とする規定もあり,後の男女の成年儀礼の年齢とも重なるが,この規定自体は唐制を模倣した条文であった。むしろ古代の成年は一定の年齢の幅の中で,身体的・精神的条件の発達に応じて行われる成年式を経て,成人として社会から認定されていたと考えられる。
執筆者:勝浦 令子 子どもから大人への移行を社会的に公認する儀礼である成年(成人)式は,時代により,身分・階級により一定のしきたりがあった。大穴牟遅(おおなむち)神(大国主命)が八十(やそ)神たちや須佐之男(すさのお)命らから与えられたきびしい試練には,古代の成年式の習俗が反映している。代表的な成年式として元服があり,男児が肉体的,精神的に一応の発達段階に達したと認められたときに行われる。平安時代の清和天皇の元服の折には4尺5寸以上の藤原氏の児童13人を加冠のうえ引見されたが,身長が一応の規準とされていたのは興味深く,身長を年齢の目安とするこの考え方は今日でも中国に生きている。平安時代の女子にあっては年ごろになると,歯を黒く染め(歯黒め),眉毛を抜いて眉墨(黛)(まゆずみ)で眉をかいた(引き眉・かき眉)。成人女子の表示である。さらに成年式(成女式)としての髪上(かみあげ),初笄(はつこうがい),裳着(もぎ)が行われる。元服以前の男子年少者はなにもかぶらず,頂(いただき)を露(あら)わしたままでいた。これを童(わらわ)といい,年齢的には成長していても,加冠の式を経ない者は大童(おおわらわ)と呼んで,一人前とはみなされなかった。成年式は平安朝の宮廷貴族における通過儀礼の中でも特に重要視され,最も厳粛かつ盛大な儀式によって行われ,文学作品では男女ともに〈大人になる(なす)〉という表現を用いている。また元服加冠の儀を終えた東宮・皇子などには当夜,女子を選んで添い寝をさせる風習があり,その相手として選ばれた女子を副臥(そいぶし)という。これは成年に達した男子の資格に女性との交渉を条件にしていた古代社会の成年式の遺風とみられている。この副臥も平安時代にはすでに形式化され,副臥に選ばれた女性がそのまま正妻となることも多かった。
執筆者:中村 義雄
前近代における日本の都市と村落では男女が15歳前後になると,成年の儀礼をへて一人前の成人と社会から認定される。男子は若衆仲間へ,女子は娘仲間へ加入し,若者宿において成人に必要な社会的訓練を受ける。1461年(寛正2)の近江国菅浦荘置文によると,菅浦荘の男子は乙名(老人),中乙名(中老),若衆という荘民構成をとっている。荘民身分は若衆から中乙名へ,中乙名から乙名へと年齢階梯を進み,60歳で乙名から隠退する。若衆は若い衆,若者,若連と称され,若衆宿,若者宿,女子の場合は娘宿で,若者頭などの指導のもとで,地域社会の秩序を維持するための掟や,家事や生産技術の習練など,厳重な集団教育をうける。年齢階梯は宮座などの神事に反映され,祭礼の役務分担に反映される。15世紀半ばの東寺領の京都郊外の荘園において,村全体の領主に対する誓約書(起請文(きしようもん))の署名に参加する資格は,60歳以下15歳以上の男子とされており,1485年(文明17)の有名な山城国一揆に参加したものは,《大乗院寺社雑事記(だいじよういんじしやぞうじき)》によると〈上ハ六十歳,下は十五六歳云々〉とされている。室町時代初期,高野山年預(ねんよ)が紀伊国花園荘荘官にあてた文書によると,荘園内の武家勢力排除のために,同荘の15歳から60歳までの百姓の動員が催促されている。これらの史実から,荘園領主や荘民の共通の認識として,15歳以上60歳以下の成年男子が荘園社会の基本的構成員としてあることが明らかになる。荘園村落だけではなく,中世都市においても,町(ちよう)共同体を維持する責任をもち,町文書の署名に参加できるものは,15歳以上60歳以下の成年男子であるとしてよい。
中世村落や町(ちよう)における成人(元服)式や若衆入りの慣行は,現在でも宮座の行事や神事のなかに残存している。成人式は近畿地方では烏帽子着(えぼしぎ),烏帽子祝といわれ,烏帽子親を立てて元服する。元服によって成人は髪型,服装を変え改名する。以後,成人は一人前として社会から処遇され,相応の義務を課され,権利を行使する。また女性の場合も鉄漿(かね)親を立てて成人式を行い歯を染め,社会から婚姻の資格を認定される。このような都市と村落の慣行は,中世武家社会の慣行であり,武家社会と都市,村落との相互交流を物語っている。公家社会においても成人式にかかわる慣行は,武士社会と大差はないと推定される。平安時代以降,公家,武家の元服,加冠作法については《西宮記(さいぐうき)》《江家次第(ごうけしだい)》や公家日記,武家の記録に,儀式次第が記述されており,特に武家の元服にあっては,烏帽子親の諱(いみな)をもらって改名する慣行が平安時代に成立していた。都市や村落における烏帽子着ののち,成人したものは,兵衛,衛門,大夫などの官途名(かんどな)を名のることが慣行の一つとされており,これらの官途名は家に付属して固定化し,江戸時代には屋号として固定し伝承されてゆく。
→一人前 →成年式
執筆者:仲村 研
民法で用いられる概念であって,法律行為を単独で有効に行うことができる最低限の年齢をいう。日本では満20年をもって成年とされている(民法3条)。成年に達していない者を未成年者という。法律上,満20歳になることとは,満20歳の誕生日の開始を意味する(年齢計算ニ関スル法律)。したがって,1955年3月3日に生まれた者は,その出生時間を問わず,1975年3月3日午前0時に成年に達したこととなる。成年に達した者は,その性別,社会的経験,知能を問わず,一人前の市民として自己の判断で契約その他の法律行為を行うことができるとともに,未成年者に与えられていた法律上の保護が与えられなくなる(たとえば,未成年者は法定代理人の同意なしにした契約を自由に取り消すことができる。民法4条)。例外的に満20歳に達しない者が成年に達する場合として,婚姻がある。法律上の婚姻をした未成年者は民法上は成年として取り扱われる(民法753条)。
民法上の成年とは別個に,満20歳という年齢に対しては他の法律によってさまざまな権利資格等が与えられている。たとえば選挙権(公職選挙法9条),自動車の大型免許の取得資格(道路交通法88条),刑法上の特別の取扱いとしての少年法の不適用(少年法2条)などがそうである。婚姻によって成年に達した者は,民法の範囲でのみ成年として取り扱われるものであって,他の法律の適用に関しては無関係である。
→未成年者
執筆者:栗田 哲男
中国では古くから成年として認められるための冠礼(かんれい)が厳格であった。男子は冠をつける儀礼,女子は笄(こうがい)をつける儀礼を通過して,初めて社会から成年と認められた。この冠,笄を加える成年儀礼は婚礼と並んで〈嘉礼〉の一つとされるほど,当人のみならずその周囲の人々にとっても祝福すべき礼であった。冠や笄をつけることは,心身ともに発達して完全な行動能力を有することの証しであり,同時に社会から大人としての権利を認められ,成年としての尊敬と待遇を受けることができるからである。《礼記(らいき)》に,〈男子二十なれば冠して字(あざな)す〉〈女子,許嫁すれば笄して字す〉というように,冠,笄をつけて初めて字で呼びあう大人の交際が認められるのであり,また婚姻も許されるのである。しかし,礼の世界では権利の承認とともに,成年としての義務を重しとする。それまでは課せられることのなかった,家庭・社会・国家における道徳の実践を命ぜられるのである。その実施年齢については,男子の場合,士大夫とその子,および諸侯の子は20歳,天子諸侯みずからと天子の子は12歳で冠したとする《礼記》のほか異説は多いが,いずれの説も12歳から20歳までとすること,そしてその位が高ければ高いほどその年齢が低くなることは一致するところである。しかし,なぜ12歳という心身未発達の年齢を成年と認めなければならなかったのか。それは若くして天子諸侯の位についた場合,一日も早く成年としての承認を得る必要があったからであろう。その必要性は,女子が年齢によらず許嫁した時点で笄して成年と認められたことと通ずる。すなわち,たとい20歳に達しなくとも,天子諸侯の地位についたり結婚したりすれば,社会はその人を成年として取り扱う必要に迫られるのである。ただし,女子で許嫁しない者は20歳で笄を加えて成年となる。なお,このような成年儀礼を〈元服〉ともいった。
執筆者:串田 久治
古代では,成年になったからといって,その子が親権から解放されるという事態は生じない。タキトゥスによれば,ゲルマン人では,父親,近親者が楯やフラメアの武器を渡すことによって,その子は成年になったから,成年は親族などによって任意に決定された。しかし,ゲルマンの諸部族では,成年に達する年齢は低く,しかも,画一化される。サリカ法典では12歳,リブアリア法典では14歳である。ザクセンシュピーゲルでは12歳から21歳まで後見に服するが,一応13歳になれば一人前として遇される。この12歳という年齢は取引をなしうる能力というよりも宗教生活上の行為を遂行する能力を基準として設定したといわれる。当時の生活は簡素で,取引も頻繁ではなかったし,また,子どもは強固な親族組織に包まれて庇護されていたため,不都合は生じないからである。しかし,取引の発展,親族組織の崩壊により,若い年齢で成年になるという制度は破綻してくる。ランゴバルド王のリウトプランドは成年を18歳にし,また,西ゴート法は20歳にした。
封建制度下の一般規則では,成年に達する年齢は身分と性によって異なった。貴族は20歳または21歳,平民は15歳で成年になった。貴族は20歳にならなければ,軍事的奉仕をすることができないが,平民は織物をオーム尺で測ったり,金銭の勘定をしたり,父親の仕事の援助をするには,20歳になっていなくてもよいためである。女子の成年は,貴族では15歳,平民では13歳である。実際には,封建社会における成年に達する年齢は,時代,地域,社会,事項によって異なり,多様であるが,概して貴族では成年に達する年齢が高く,平民では低い。平民の場合には,成年になってもなお後見の庇護下におかれ,また,家産保存を優先するたてまえから,子自身の保護も図られた。フランスでは,16世紀ごろから,慣習法上の成年は,ローマ法上の25歳をもって完全な能力者とする成年制度の影響を受け,フランス革命までは25歳が成年とされていた。フランス革命期の1792年9月20~25日の布令décret(4章2条)に,成年は満21歳と定められ,この成年は男女の区別なく,私権の完全な行使が認められる能力の完成時期と画一的に定められた。西欧諸国における近代法は,いずれもこのような意味での成年を定めている。
執筆者:有地 亨
人が大人として,または一人前として認められるには,どの社会でも明白な基準があり,一定の手続を経ることが必要とされる。とくに未開社会では,この手続は独特で念入りな過程をともなう儀式であることが多く,たいていは公的・集団的に執行される。
北アメリカの狩猟民オジブワ族では,すぐれた狩人であることで一人前とみなされるが,狩猟には技術,知識,一定年齢に達すること等の条件のほかに,超自然的な力の助けを必要とすると考えられている。この助力が欠けているために子どもは〈空虚〉な存在とされる。しかし12歳になると,男子は数日間水を飲むだけで森の中で苦行する。このとき空腹と疲労による幻覚の中に出現する超自然的存在が彼の一生を支配する保護霊となる。この霊的存在とのかかわりによって力を得て〈空虚〉は満たされ,男・大人になる第一歩を踏み出し,以後は日々の暮しの中で一人前の人間としてしだいに認められていくことになる。アフリカのスーダン南部の牧畜民ヌエル族では,集団的性格がずっと強く,14~16歳ころにムラごとに成年式があり,その後はムラを超えた部族単位の年齢集団に所属するのである。この儀礼で骨に達するほどの深い傷をつけて,額に一生残る瘢痕を形成し成人の明確な刻印とする。世界各地の部族民に見られる割礼をはじめとする各種の身体変工の事例とあわせて考えると,いわば自然的・動物的存在としての未成年者は,身体に人工的な加工を施されることによって,一人前の人間に転生するという観念が広く存在しているようである。このほかにヌエル族の男子は成年式のとき,超自然的存在との媒介者であり,その所有者とも考えられている神聖な牛を父からもらうことも見逃しえない。メラネシアでは秘密結社が発達しており,その加入儀礼で男性の女性からの隔離が強調されることが多く,同時に無性的な子どもから男性への変化をも強調している。そして男子だけの儀礼小屋での隔離期間には,日常生活とは異質の場が構成され,神話が語られ,伝統的秘儀が伝えられ,あるいは恐怖におののきながら,ときには性器などから血を流す苦痛に耐えながら,祖霊,神霊と接触させられる。この期間中,社会的にいわば死んだ状態にある少年は,再び日常生活に戻るとき,それまでとはまったく異なった存在=大人として新生する。
伝統社会においては,サンやピグミーなど技術的に単純な採集狩猟民の一部を除いて,一人前であるためには生殖能力や家庭経営能力だけでは十分でない。女性の場合には,生理的,肉体的変化・成熟に応じて,生活に必要な知識と技術の修得を前提として,さほど劇的な変化もなく成人とされることが多いのに比べて,男性の成年資格には種々の儀礼的条件が求められ,成年式に伴う精神的試練,身体変工,隔離生活,秘密の伝授といった諸慣行にそれが表現されている。少年は所属する社会で独自に認められた〈聖なる存在〉に接触することで,日常生活をより深いところで支えている〈力〉を獲得し,これによってはじめて大人=一人前の人間になりうるという考え方がひろくみられるのである。
執筆者:小川 正恭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人(自然人)が完全な行為能力者となる年齢をいい、それに達しない間を未成年という。日本では、1876年(明治9)の太政官布告以来、満20年をもって成年としてきた(民法旧4条)。しかし、2007年(平成19)の「日本国憲法の改正手続に関する法律(通称、国民投票法)」(平成19年法律第51号)では、「日本国民で年齢満18年以上の者は、国民投票の投票権を有する」(同法3条)とされた。また、選挙権に関しては、2015年(平成27)の「公職選挙法等の一部を改正する法律」(平成27年法律第43号)により、公職の選挙の選挙権を有する者の年齢について、満20年以上から満18年以上に改められた(公職選挙法9条)。こうした流れを踏まえ、市民生活に関する基本法である民法においても、18歳以上の者を成人として取り扱うのが適切ではないかとの議論がなされ、2018年6月に、民法の定める成年年齢を18歳に引き下げること等を内容とする「民法の一部を改正する法律」(平成30年法律第59号)が成立した(2022年(令和4)4月1日施行)。
民法が定める成年年齢には、(1)単独で完全に有効な契約を結ぶことができる年齢という側面と、(2)父母の親権に服さなくなる年齢という側面がある。すなわち、(1)未成年者が法律行為をするときには、原則として法定代理人の同意を得なければならず(同法5条1項)、法定代理人の同意なしにした法律行為は、これを取り消すことができる(同条2項)。また、(2)父母は、未成年者の監護および教育をする義務を負う(同法818条・820条)。それゆえ、民法が定める成年年齢を20歳から18歳に引き下げると、18歳に達した者は、単独で有効な契約を結ぶことができ、かつ、父母の親権に服さなくなる。
また、2018年の改正前の民法は、婚姻開始年齢(婚姻適齢)を、男性18歳、女性16歳としつつ(同法旧731条)、未成年者であっても、婚姻すると成年に達したものとみなされる(同法旧753条)としていた(婚姻擬制)。しかし、同改正法では、女性の婚姻開始年齢を18歳に引き上げ、男女ともに18歳にならなければ婚姻することができないこととした(同法731条)。そして、これに伴い、婚姻擬制の規定(同法旧753条)を削除した。
そのほか、民法の成年年齢は、民法以外の法律においても、各種の資格の取得や各種行為を行うための基準年齢とされている。それゆえ、たとえば、10年有効のパスポートの取得や、公認会計士・司法書士・行政書士などの職業につくことも、18歳でできるようになる。しかし、飲酒・喫煙や、公営競技(競馬・競輪・オートレース・モーターボート競走)の年齢制限については、健康面に対する影響や青少年保護の観点から、従来の年齢要件(20歳)が維持されている。
[野澤正充 2022年4月19日]
『〔WEB〕農林水産省農林水産技術会議『法務省民事局参事官室・民法改正 成年年齢の引下げ――若者がいきいきと活躍する社会へ』 https://www.moj.go.jp/content/001300586.pdf(2022年3月閲覧)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...
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