慧思(読み)えし

精選版 日本国語大辞典 「慧思」の意味・読み・例文・類語

えしヱシ【慧思】

  1. 中国南北朝時代の僧。天台宗の創始者智顗の師。北斉慧文について法華三昧を悟った後、大蘇山・南岳などに住した。南岳大師とも。(五一五‐五七七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「慧思」の意味・わかりやすい解説

慧思
えし
(515―577)

中国、南北朝時代の僧。天台宗の開祖智顗(ちぎ)の師。俗姓は李(り)氏。梁(りょう)の天監(てんかん)14年11月11日、河南省予州武津(ぶしん)県に生まれる。15歳で出家し、20歳のときに『妙勝定経(みょうしょうじょうきょう)』を読んで禅定(ぜんじょう)のたいせつさを知り、諸方の禅匠を訪ねて禅を修めたが、北斉(ほくせい)の慧文(えもん)に会見して法華三昧(ほっけざんまい)を会得したといわれる。34歳のとき、河南省兗州(えんしゅう)での論争が原因で、敵意をもつ僧から毒害を受けるなど、その後しばしば法難にあった。41歳のとき、光州(河南省)大蘇山(だいそざん)に入り、この間に智顗に法を伝えた。陳の光大2年(568)に弟子40余人と湖南省の南岳(なんがく)に入って坐禅(ざぜん)講説に努めたので南岳大師といわれる。諡号(しごう)は思大和尚(しだいおしょう)。著書に『南岳思大禅師立誓願文(なんがくしだいぜんじりっせいがんもん)』『諸法無諍三昧(むじょうざんまい)法門』2巻などがある。

[池田魯參 2017年1月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「慧思」の意味・わかりやすい解説

慧思 (えし)
Huì sī
生没年:515-577

中国,南北朝末期の高僧天台宗の事実上の開祖。568年以後,南岳衡山(湖南省)に僧団を作ったので南岳大師とよばれる。北魏末,南予州武津県(河南省)の出身。慧文(えもん)らのもとで禅の修行にはげみ,30歳をすぎたころ開悟。548年から,頓悟の体験にもとづく大乗仏教のあり方を山東・河南の各地で説いたが,仏教界の激しい迫害にあい,当時の社会の末世的現実に対する深刻な危機意識と相まって護法への情熱をもやす。558年の作という《立誓願文》にはその情熱があふれ,正法五百年,像法千年,末法万年の三時説と末法思想が中国で最初に見える。その後,大蘇山に入り,さらに南岳に移って智顗(ちぎ)をはじめ多くの弟子を養成し,陳王朝から尊敬された。自性清浄心を確信する頓悟中心の禅観と,護法のための大胆な菩薩戒など,彼の革新的な思想は《法華経安楽行義》などの著作に見え,天台宗のほか禅宗にも大きく影響した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慧思」の意味・わかりやすい解説

慧思
えし
Hui-si

[生]天監14(515)
[没]太建9(577)
中国,南北朝時代の僧。天台宗の創始者智 顗 (ちぎ) の師で中国天台宗第2祖とされる。北斉の慧文に従って法華の妙理体得晩年,南方南岳 (湖南省) に入り,教化に専念した。これにちなみ南岳禅師とも呼ばれる。著書『大乗止観法門』『安楽行義』など。いずれも法華の玄旨を述べたものである。

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世界大百科事典(旧版)内の慧思の言及

【正像末】より

…そのうち正法500年・像法1000年・末法1万年の説が多く信じられた。正像末の3時期区分が中国で最初に表明されたのは,南岳慧思の《立誓願文》(558)においてであり,以後,末法思想が広く行われるようになった。【礪波 護】。…

※「慧思」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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