中国、隋(ずい)代の僧。天台宗の開祖であるが、慧文(えもん)―慧思(えし)の相承から第三祖ともされる。智顗は諱(いみな)、字(あざな)は徳安(とくあん)。智者大師、天台大師と称される。現在の湖南省、当時の荊州(けいしゅう)地方で生まれる。後梁(ごりょう)の555年(紹泰1)18歳のとき、果願寺(かがんじ)の法緒(ほうしょ)の門に入って出家、560年(天嘉1)、実践的仏教を築き上げ独自の教風で知られた南岳(なんがく)慧思に師事する。智顗の仏教思想が実践的性格を色濃く有するものに仕立て上げられることになったのは、まさに慧思のもとでの8年に及ぶ研鑽(けんさん)のゆえである。その後、智顗は陳(ちん)の都金陵に赴く。宗教的実践を重視する北方中国の仏教の気風と異なって、学問研究に強い関心を示す南方中国の仏教の伝統を保つこの地での修道生活が、彼の仏教思想に新しい性格を付与する。行(=観)のみならず、学解(=教)をも等しく重視し、これら教観二門を総合した仏教思想が構想されるのである。8年間過ごした金陵をあとに、575年(太建7)決然として天台山に隠棲(いんせい)して11年間、ここでの深い内省を通して、その仏教思想はいっそう整理され、体系化されていく。天台山下山から没するまでの12年間、彼の思索はいよいよ深められ、両門の総合のうえに成り立つ、壮大なスケールをもった教学思想が説き明かされる。その教えは、この時期に著された彼の主著『法華文句(ほっけもんぐ)』『法華玄義(げんぎ)』『摩訶止観(まかしかん)』の三大部を通じて知られるが、そこに述べられている教学は南北両仏教の教風の統一としての性格をもつものとみなされてよい。晩年には晋王広(しんおうこう)(後の隋の煬帝(ようだい))の求めに応じて、『維摩経疏(ゆいまぎょうしょ)』が著されるが、そこには三大部とは微妙に異なる晩年の智顗の考え方が示されている。
彼の教学思想は、ひと口でいうと「止観の法門」として特徴づけられる。これは、一心三観(いっしんさんかん)を修して諸法の実相である円融(えんにゅう)の三諦(さんたい)を得知すべきことを教える法門といってよい。もちろん止観の法門はけっして単純ではなく、十観十境(じっかんじっきょう)の教え、方便(ほうべん)の教説、一念三千(いちねんさんぜん)説などを含み、それらが有機的に関連づけられて成り立つ壮大な法門である。
[新田雅章 2017年3月21日]
『田村芳朗・新田雅章著『智顗』(1982・大蔵出版)』
中国,陳・隋時代の僧。天台宗の開祖であるが,慧文,慧思につぐ第三祖ともされ,天台大師とよばれる。潁川の陳氏の一族として,荆州華容(湖南省華容県)で生まれた。父の陳起祖は梁の高官であった。智顗は17歳のとき侯景の乱とひきつづく西魏軍による江陵攻略により家と国とを失い,18歳にして出家し,2年後に具足戒をうけ,大賢山に入って《法華経》を読誦し,方等懺法(ほうどうせんぽう)(一種の三昧)を修した。ついで陳と北斉との国境に近い光州の大蘇山にいた慧思の門に入り,7年間にわたって北地系の教学を学び,法華三昧を修めて豁然として大悟した。この体験をふつう天台大師の大蘇開悟と称している。南岳に隠棲せんとする慧思のすすめで,智顗は陳の国都の金陵(南京)に出て8年間とどまり,おもに瓦官寺で《法華経》《大智度論》《次第禅門》などの講説に専念し,江南の学問的仏教に禅観思想の新風を吹き込み,陳の宣帝をはじめ朝野の帰依者を集めた。
たまたま北周の武帝による廃仏が断行されたとの報に接し,浙江の天台山(国清寺)に隠棲して天台教義を体系づけること10年,584年(至徳2)に陳の永陽王に懇請されて下山し,陳の後主に迎えられて再び金陵に入った。皇帝以下に菩薩戒を授け,太極殿で護国のために《大智度論》と《仁王般若経》を講じ,また光宅寺で《法華文句》を開講した。隋の文帝が征陳の軍を起こすや,兵乱を避けて廬山に入ったが,晋王楊広(のちの煬帝(ようだい))の請いにより,591年(開皇11),54歳のときに揚州に赴いて菩薩戒を授け,王より智者の号を贈られた。のち廬山を経て故郷の荆州に帰り,玉泉寺を創建して《法華玄義》と《摩訶止観》を講じ,596年に10年ぶりに天台山に入って国清寺を修復し教団の生活規定を制定した。晋王広の懇請により《維摩経疏》を撰述し,揚州に向かって下山の途中に西門石城寺で没した。
智顗は,〈論〉ではなく〈経〉本位の教学を組織し,五時八判の教判(教相判釈)をたてた中国的仏教の大成者であり,主著として弟子灌頂が筆録した《法華玄義》《法華文句》と《摩訶止観》のいわゆる〈天台三大部〉があり,同じく灌頂が集録した《国清百録》は天台山国清寺に関する104種の文献を集めていて,《智者大師別伝》とともに智顗の伝記研究にも不可欠の文献である。
執筆者:礪波 護
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538~597
天台大師,智者大師とも称する。光州(河南)の慧思(えし)について法華経(ほけきょう)の奥義を究め,天台山に入り天台宗を開いた。隋の晋王広(煬帝(ようだい))から智者大師の号を受け,郷里の荊州(けいしゅう)で『法華玄義』『摩訶(まか)止観』を説いた。
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…ここから《華厳経》は頓教であり〈漸教〉が第一時三乗別教,第二時般若経,第三時維摩経および梵天思益経,第四時法華経,第五時涅槃経であるなどというように南北朝諸教判が集大成されて,ここに隋・唐諸宗派教判の基本型が成立すると考えられる。これを改正増補して隋の天台宗の智顗(ちぎ)は,一華厳(阿含)時,二鹿苑時,三方等時,四般若時,五法華・涅槃時の五時にわたり,説法方法からして頓・漸・秘密・不定の四教と説法内容からして蔵・通・別・円の四教との八教が説かれたという五時八教の教判を完成させ,唐の華厳宗の智儼(602‐668)や法蔵は,一小乗教,二大乗始教,三終教,四頓教,五円教の五教と,我法俱有宗,法有我無宗,法無去来宗,現通仮実宗,俗妄真実宗,諸法但名宗,一切皆空宗,真徳不空宗,相想俱絶宗,円明俱徳宗の十宗の教判を完成させた。日本においても,空海の顕密二教を分かち十住心(《十住心論》)を立てる教判や,親鸞の頓教に難行易行の二道と竪超横超の二超を立てて漸教・小乗教に対比させる教判などが説かれた。…
…また仏教経典にもとづく懺悔は,中国において〈懺法〉や〈礼懺〉という形式をとり洗練されるにいたった。これは除災招福のための道教的な卜占や呪法と結びつく一方,儒教的な礼の作法とも結びついて儀礼化したが,それらの流れを集大成したのが智顗(ちぎ)である。彼は〈六根の懺悔〉を説いたが,それは流涙悲泣して感覚器官と意識のすべて(六根)を浄化することであった。…
…仏教における化導弘通(けどうぐづう)の方法で,摂受が相手の立場や考えを容認して争わず,おだやかに説得して漸次正法に導くことであるのに対して,折伏は相手の立場や考えを容認せず,その誤りを徹底的に破折して正法に導く厳しい方法で,摂受は母の愛に,折伏は厳しいながら子をおもう父のいましめにたとえられる。摂受,折伏ともに《勝鬘(しようまん)経》にみえるが,これを重要問題としたのは法華仏教で,中国法華仏教の大成者智顗(ちぎ)は,法華経安楽行品(あんらくぎようぼん)における他人の好悪長短を説かないことをもって摂受とし,《涅槃(ねはん)経》にみえる正法を護持するために武器をもち,正法を誹謗毀訾(きし)する者を斬首することをもって折伏とした。これによれば,法華経が摂受,涅槃経が折伏になるが,智顗はまた,法華仏教は折伏の方法によって権教(ごんぎよう)を破折するものであると規定している。…
…静かな森で座禅する舎利弗(しやりほつ)をしかる維摩や,座禅を好む外道に近づくことを戒める法華の説は,大乗禅のあり方を教えた。法華経によって,大乗の諸教義と実践法を総合する天台智顗(ちぎ)は,禅より止観への深化を主張する。止観とは,空仮中(くうげちゆう)の三諦(さんたい)の理に収約される,仏の悟りに応ずる3種の実践のことである。…
…中国仏教においても中道の分類は多岐を極め,三論宗の吉蔵は,空にも有にもとらわれない無得正観(むとくしようかん)に住することを中道であるとし,また世俗の存在を実法は滅するが仮名は存続するので不常不断と見る〈俗諦中道〉,究極の立場から見れば不常でも不断でもなく空(無自性)なのだとする〈真諦中道〉,俗の立場にも究極の立場にもとらわれない〈二諦合明中道〉の3種を説いた。天台宗の智顗(ちぎ)は《中論》に基づいて空(存在には自性,実体はない),仮(ただし空も仮に説かれたことである),中(空にも仮にもとらわれない立場)の〈三諦円融〉を主張し,すべての存在に中道という実相が備わっているという〈一色一香無非中道〉を説いた。日本の法相宗においても,唯識派の三性説に基づいて,認識のあり方は,(1)実体と誤認する,(2)因縁によって生じたと見る,(3)実相をありのままに見る,の3種に分かれるが,これらは全体としては有でも無でもない中道をあらわすとする〈三性対望中道(さんしようたいもうのちゆうどう)〉等の説がなされた。…
…天台法華宗ともよばれる。 隋代,天台智顗(ちぎ)が第2代皇帝煬帝(ようだい)の帰依をうけ浙江省の天台山国清寺と湖北省の荆州玉泉寺をひらき,中国仏教を再編したのに始まる。すでに5世紀の初め,クマーラジーバ(鳩摩羅什)が漢訳した《法華経》に基づき,智顗が著した注釈書の《法華玄義》と《法華文句》および《摩訶止観》の3部を根本聖典とする。…
…教相判釈は,そのことを問うのであり,もっとも中国的な学問となる。 教相判釈の典型は,隋の天台智顗(ちぎ)が集大成する五時八教論である。それは,この国はじめての一つの宗派,天台宗の開創をも意味する。…
…仏典の《金光明経》第四品流水長者子品や《梵網経(ぼんもうきよう)》などの不殺放生に関係する。6世紀,天台の開祖智顗(ちぎ)が漁民のとった魚の多きを憐れみ,国清寺の近くに池を作り放ったのが最初という。唐代の759年(乾元2)粛宗が長江(揚子江)沿岸の州県城に放生池81所を設け,顔真卿がそれに関する碑銘を書いた。…
…最後の6章は最も新しいが,その中で,観音の信仰を説く〈観世音菩薩普門品〉は《観音経》として独立して尊重される。中国では,天台智顗(ちぎ)が《法華玄義》《法華文句(もんぐ)》の二大注釈書を著し,本経を諸経の中で最高の真理を説いたものとして尊重した。経の前半を〈迹門(しやくもん)〉,後半を〈本門〉と呼ぶことも智顗によって普及した。…
…中国,天台宗の祖師智顗(ちぎ)が,南岳恵思より伝えた,止観の思想について講じた著。10巻。…
※「智顗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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