慶長地震(読み)ケイチョウジシン

改訂新版 世界大百科事典 「慶長地震」の意味・わかりやすい解説

慶長地震 (けいちょうじしん)

1605年2月3日(慶長9年12月16日)午後10時ごろ発生した地震地震動による被害はほとんどなく,津波房総伊豆紀伊四国九州を襲った。記録から推定される津波の高さは,房総と紀伊,四国で高く,静岡県沿岸で比較的低い。八丈島にも津波が襲って死者57人を出した。以上のことからこの地震は,房総沖(北緯34.3°,東経140.4°,マグニチュード7.9)と紀伊水道沖(北緯33°,東経134.9°,マグニチュード7.9)に同時に二つの地震が発生したものと考えられてきたが,南海トラフ沿いの遠州灘はるか沖合に一つの巨大地震が起きたという考えも出ている。この地震に関する古記録が少ないため不明の点が多い。死者の総計は約1000人程度と考えられる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む