戦時法(読み)せんじほう

改訂新版 世界大百科事典 「戦時法」の意味・わかりやすい解説

戦時法 (せんじほう)

戦時(立)法の意味は必ずしも一義的ではないが,今日いうところの有事立法とほぼ同義と考えてよい。この有事立法なる用法もまた,明治以来第2次大戦前に常用され戦後いったんは死語となったものであるが,近年,むしろこのほうが復活して人口に膾炙かいしや)することとなった。いずれにしてもこれらの概念は,戦争概念の変遷や拡大に対応して広狭の意義がある。

 近代までの戦争概念は,おおむね国家間の武力抗争自体を中心に構成されてきた。このことに規定されて,たとえば日本の明治時代には,戦時法もまた国際的武力抗争に直接にかかわる国内法規,すなわち軍隊の編成と作戦行動に関する法規を意味した。これらはいずれも戦争を名目として基本的人権を制限・停止できるものである。たとえば,徴兵令は国民に兵役の義務を課すものであるが,兵士は裁判を受ける権利,居住・移転の自由,信書の秘密,言論・集会・結社の自由から婚姻の自由に至るまで,基本的人権を制限される。また徴発令は軍需品の徴発,工場・土地などの管理・使用・収用,さらには労務動員など,所有権や人身の自由さえ制限する。さらに戒厳令の場合は,合囲地境内では集会・出版の停止,郵便電報の開緘,動産・不動産の破壊,陸海路遮断などが可能とされる。このように,近代の戦時法は軍隊の編成・作戦行動に直接かかわる領域に限定して,国民の基本的人権を制限ないし停止するものであった。

 これに対し現代の戦争は,武力以外の政治,経済,思想などの国力全体を動員する政治的権力集団間の非常行動とみなされよう。したがってこの段階の戦時法もまた,戦争など非常行動のための政治・経済・思想など全領域での統合と動員のための法規の総体をふくむことになる。第1次世界大戦を契機に交戦諸国,とくに先進資本主義諸国で成立したこの体制は,日本では国家総動員体制と呼ばれたが,その法的表現は国家総動員法(1938公布)を中心として十五年戦争の時期に成立した現代戦時法の体系である(国家総動員)。それは,憲法体制,とくに議会制度,基本的人権などの全面的な制限の法制度であって,次のような特徴をもっていた。

 すなわち国家総動員法は議会,とりわけ国民代表制議会の機能を事実上停止し,全権を軍部を中心とする行政権に白紙委任する授権法である。またそれは,軍需生産のために物資,資金,施設,事業など経済の総体を統制・動員する財産権制限の法でもある。さらにそれは,中小企業を中心とする消費財生産を抑制,転廃業せしめ,配給・消費統制によって国民の消費生活を生存限界以下にまで切り下げた。また国家総動員法は,軍需生産に国民を総動員し,これに対する国民的抵抗を抑圧するためにも労働者のストライキを禁止した。そして戦争のためのこのような国内体制を可能とする徹底的な思想統制が,この戦時法によって行われた。軍機保護法(1899公布),軍用資源秘密保護法(1939公布)などによって,軍隊・軍需工場の秘密の探知・収集漏泄・公示などが死刑をふくむ厳罰に処せられた。国家総動員法は外交・財政・経済政策など国策上の官庁機密の報道・掲載を禁止し,新聞その他の出版物は掲載の制限・禁止,発売・頒布の禁止,原版差押えという報道・出版統制の下におかれた。結局,軍事・官庁・企業の機密が全体として国民の目から隠され,真実を知らされないまま国民は,戦時法によって戦争へ動員・協力させられていったのである。

 なお,戦前の戦時法は単なる過去の問題ではない。戦後の1963年に防衛庁が秘密裏に行った〈三矢研究〉(国家の総力戦を想定し,その際にとられるべき非常事態措置についての検討がなされた)や今日の政府による有事立法研究では,戦前の戦時法がモデルとされているのであって,その意味で戦時法はまさに今日的問題でもあるからである。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の戦時法の言及

【国際法】より

… もっとも,個人の国際法主体性を認めるといっても,それは,個人の受動的主体性を認めるのであって,国際法の定立に直接関与するという能動的主体性は,今のところ個人には認められていない。
[規律内容――戦時法と平時法]
 国際法の規律内容は,戦争,外交関係などの伝統的な国家関係から,最近は,個人や国際機構の活動を含む事項にまで大きく広がってきている。国際法を規律内容の面から分類すると次のようになる。…

※「戦時法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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