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打毀 うちこわし

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

打毀
うちこわし

江戸時代に,おもに都市においてみられた暴動。百姓一揆との違いは,第1に暴動の主体勢力が都市下層民であったこと,第2に原因が米価高騰にあったことである。打毀の対象となったのは,米屋,酒屋,質屋,問屋などの富裕商人たちで,彼らが意識的に米価の吊上げをはかったことから,その影響をいちばんこうむりやすい都市下層民たちにねらわれることとなった。

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百科事典マイペディアの解説

打毀【うちこわし】

打壊とも書き,打潰(うちつぶし)などともいう。江戸時代,百姓・町人の中下層身分による,大庄屋・庄屋層,地主・在方商人・都市富商などの豪農・豪商の家屋・家財・生産用具類を破壊し,被害を与える闘争手段。
→関連項目磐城平元文一揆加茂一揆絹一揆享保の飢饉郡内騒動山中一揆七分積金信達騒動尊王攘夷運動田沼時代町人伝馬騒動天明上信騒動天明の飢饉鳥取藩元文一揆福島藩武州一揆蓑虫騒動

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世界大百科事典 第2版の解説

うちこわし【打毀】

打壊とも書き,打潰(うちつぶし),打崩(うちくずし),ぶっこわしなどともいう。江戸時代,百姓・町人の中下層身分による大庄屋・庄屋層,地主・在方商人・都市富商などの豪農商の家屋・家財・生産用具類を破壊し,被害を与えた闘争手段で,近世の階級闘争のなかで最も激化した形態の一つである。とくに都市では飢饉その他による米価騰貴を原因とする都市下層民衆の米一揆=米騒動に伴う打毀が多く,500件近い近世都市騒擾の約半分は打毀が占める。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

打毀
うちこわし

家宅、家財、道具類を集団で破壊する、江戸時代の農民、都市民のもっとも激しい闘争形態。江戸時代の初頭には武力を用いる反乱もみられたが、兵農分離が完成する一方で百姓訴訟法が制度化されると、法に基づく訴願が広がり始めた。しかし、その方法によって目的が達せられないときは、他領に逃げたり、村役人が訴訟の手順を無視して上級の権力に訴える代表越訴(おっそ)の手段がとられた。村役人の代表越訴は、やがて中下層の農民が加わってきて惣百姓(そうびゃくしょう)の強訴(ごうそ)に変わった。集団的な行動である強訴は、領主に負担軽減を要求するだけに終わらず、打毀を伴うことが多かった。早い例としては1686年(貞享3)信濃(しなの)松本藩一揆(いっき)(加助(かすけ)騒動)に小規模な打毀が現れたが、1712年(正徳2)加賀大聖寺(だいしょうじ)藩一揆は、全藩規模の打毀を伴う強訴となった。以後、強訴と打毀が一体になった百姓一揆が多くなる。
 打毀は領主権力に向けられるものではなく、一揆に同意しない村役人、領主と結託したり内通した者、高利の金融で百姓をとりつぶしたり買占めで物価をつり上げた者などに向けられた。村方でも行われたが、城下町へ押し入って打毀すこともあった。打毀は、農民が悪人と判定した者に対して、領主の力を借りずに自らの手で行う激しい制裁行為であり、水争いなどの際にも類似のものがみられた。この行動は種々の道具を用いて行われ、生活、生産の諸手段を徹底的に破壊したが、家屋そのものを倒壊させることはほとんどなく、放火が行われたこともなかった。
 農民の打毀に対し、都市では、小商職人や雑業者が米の買占めや価格高騰に怒って特権的な商人宅を襲う、米騒動の性質をもつ打毀が起こった。早い例としては1713年(正徳3)長崎、31年(享保16)飛騨(ひだ)高山の打毀があるが、大規模なものは33年1月に江戸で起こった米問屋高間伝兵衛(たかまでんべえ)宅の打毀が最初である。以後、凶作、飢饉(ききん)の年には三都や城下町に頻発するようになり、各地の港町や在町(ざいまち)でもみられるようになった。都市民の打毀も富の独占に対する自らの手による制裁であったが、飢饉で米価が異常な高騰をみせる時期には、広域にわたって連鎖的に起こるのが特徴であった。ことに1787年(天明7)には全国的な広さで都市打毀が起こり、江戸は無政府状態になるほどであった。天保(てんぽう)年間(1830~44)、慶応(けいおう)年間(1865~68)にも打毀が激化した。また在町で起こる打毀では、農民と都市民が相呼応する形になった。[深谷克己]
『林基著『百姓一揆の伝統』正続(1955、71・新評論社) ▽深谷克己著『百姓一揆の歴史的構造』(1979・校倉書房) ▽佐々木潤之介著『世直し』(岩波新書)』

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世界大百科事典内の打毀の言及

【江戸】より

… 幕府がこうした数多い下層民のために拝借米の支給や町会所を通しての米金の施行に力をつくしたのも,将軍家のおひざもとである江戸に社会不安をひきおこしたくなかったからである。江戸の民衆の打毀(うちこわし)は1733年の米問屋高間伝兵衛への打毀が最初であるが,87年(天明7)の大打毀は,これによって田沼政権から松平定信の時代に変わっていったほどの事件として評価された。政権を獲得した松平定信は,江戸に社会不安をひきおこさないために,これまで個々の豪商たちの数ヵ町規模の施米金でなく,江戸全体で下層民の生活保障のしくみをつくろうとして町会所をつくったのである。…

【寛政改革】より

…田沼の重商主義的な政策に便乗した商人の物価つり上げに苦しむ生活困窮者や,都市に流れ込む没落貧農の増加により,都市下層貧民層が急速に増大した。彼らは,米穀買占めなどの不正が行われたり,飢饉により米価が極端に高騰したりすると,たちまち都市打毀(うちこわし)の主体勢力となった。天明期は,百姓一揆とともに,都市打毀の前代未聞の激発期でもあった。…

【強訴】より

…18世紀に入ると強訴がふえるが,小百姓の多数参加によって,領主に対する直訴だけでなく,特権をもつ一部の百姓・町人や一揆に協力しない村役人の家宅を,制裁として打ちこわすことも起こりはじめた。加助騒動のなかでもすでに打毀(うちこわし)の端緒がみられるが,1712年(正徳2)の加賀大聖寺藩一揆は,激しい打毀をともなう全藩的な規模の強訴の画期となった。強訴の増加は一揆禁令にも反映し,幕府は41年(寛保1),〈地頭え対し強訴,其上致徒党逃散(ちようさん)之百姓〉に対する刑罰を決めた。…

【七分積金】より

…江戸町会所の運営は勘定所御用達に任ぜられた10名の特権的豪商のほか,名主の代表,地主・家守からとりたてられた吏員(座人)によって担われ,江戸の地主層の一種の共同組織(会所)としての性格も有した。この改革実施の直接的契機としては,1787年5月に江戸町方全域に発生した激しい打毀(うちこわし)があげられる。これは天明の飢饉による窮乏化の中での都市下層民衆による一種の米一揆であるが,江戸全域に及んで幕府に大きな衝撃を与えた。…

【伝馬騒動】より

…1764‐65年(明和1‐2)武蔵国を中心に起きた助郷(すけごう)役増徴反対の百姓一揆。64年8月,江戸幕府は中山道の伝馬助郷役不足の解決と,翌年にせまった日光東照宮百五十回忌の交通量増大に対処するため,増助郷(ましすけごう)課役の方針をうちだし,板橋宿から和田宿までの武蔵,上野,信濃28宿の村々に高100石につき人足6人,馬3疋の増助郷を命じ,人馬役負担の困難な村には代金として高100石につき金6両2分を提出させようとした。…

【徳川吉宗】より

…22年には老中水野忠之を財政専任とし,本格的財政再建に着手し,諸大名に領地1万石につき100石の上米(あげまい)を出させて当面の急をしのぎつつ,新田開発,検見法の改革,年貢率引上げ,定免制施行などにより年貢増徴をはかり,かなりの成果をあげた。ところがその矛盾が不況,米価下落,農民の年貢減免要求などの形で表面化し,32年には瀬戸内海沿岸を中心に大飢饉が発生し(享保の飢饉),翌年1月には江戸ではじめて〈打毀(うちこわし)〉が起こった。そこで36年(元文1)通貨を悪鋳(元文金銀),増発して不況を緩和し,翌年老中松平乗邑(のりさと)を財政専任に,神尾春央(かんおはるひで)を勘定奉行に登用して再び財政強化をはかり,その後しばらく安定した状態となった。…

【百姓一揆】より

…1686年(貞享3)の松本藩一揆(加助騒動)はその事例である。この一揆は打毀(うちこわし)をともなったが,1708年(宝永5)の水戸藩一揆は打毀をともなわない惣百姓強訴になった。惣百姓強訴には二つの形態があったが,もっとも典型的なものは激しい打毀をともなう全領域的な惣百姓強訴である。…

【蓑虫騒動】より

…江戸時代において越前などで起こった打毀(うちこわし)などを伴った大規模な百姓一揆の総称で,特定の一揆をさす名称ではない。史料上では,〈百姓蓑虫出る〉〈丸岡御領内蓑虫騒立つ〉(藩政史料),〈七月廿七日夜六ッ時みのむしをこし候〉(一揆廻状),〈蓑虫徒党致すまじく〉(村法)などと表現されている。…

【村方騒動】より

百姓一揆のなかには,村方騒動の内容である村役人の任期や不正を要求条項のなかに掲げるものがあり,また一揆の後に村方騒動が広がることもあった。豪農商に対する激しい打毀(うちこわし)である世直しの基礎にはたいてい村方騒動があり,打毀に連動して村方騒動が急速に波及していくことが多かった。なお近世村落には,村役人や地主,豪農などに対する村方騒動と同じ対抗関係ではないが,一村の内部あるいは村と村との間で山や水や地境などをめぐって山論水論など種々の争論が発生しており,階層間の対立とあわせて数多くの村方出入が起こった。…

【世直し】より

…政言刃傷事件とたまたま期を同じくして江戸の米価が下落したこともあって,江戸市民は政言を〈世直し大明神〉と称し,その神号を書いた数十本の幟(のぼり)が徳本寺の墓地に立てられたという。
[世直し大明神と騒動]
 18世紀の半ばごろから,百姓一揆と並んで,商人,高利貸,地主の〈不正〉を追及して打毀(うちこわし)を伴う騒動が展開しはじめた。その騒動に,騒動の要求とはげしい打毀行動とを正当化するものとして,世直し大明神が登場した。…

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