押上村(読み)おしあげむら

日本歴史地名大系 「押上村」の解説

押上村
おしあげむら

[現在地名]墨田区押上一―二丁目・横川よこかわ二―五丁目・業平なりひら二―五丁目、江東区亀戸かめいど一丁目など

小梅こうめ村の東にあり、東・南は柳島やなぎしま村。ほぼ中央を北十間きたじつけん川が流れる。古くは須崎すさき村など三ヵ村を含め牛島うしじま四ヵ村と称されたという(風土記稿)。田園簿に押上村とみえ、田一五三石余・畑二二石余、幕府領幕末まで同領であったと思われる(旧高旧領取調帳など)

押上村
おしあげむら

[現在地名]富山市押上、上新川郡大沢野おおさわの町押上

神通川右岸沿いに位置し、成子なりこ渡を越えて対岸婦負ねい郡成子村(現婦中町)に至る。北は吉倉よしくら村。押上ケ村とも記される。中世宮河みやかわ庄の庄域にあったと思われる。鎮守の住吉社にある神木は飛騨国一宮水無みなし神社(現岐阜県宮村)の神木が流れてきて当地に押上がったものといわれ、地名の由来になったと伝える。現新潟県小千谷おぢや魚沼うおぬま神社所蔵の大般若経(巻不明)の奥書に、至徳二年(一三八五)一〇月六日の年紀銘とともに「越中国婦負郡宮川荘押上」とある。江戸初期は加賀藩領、万治三年(一六六〇)の領地替で富山藩領となる。正保郷帳では押上ヶ村とみえ、高一千三三五石余、田方八五町余・畑方四町余、新田高四四石余。

押上村
おしあげむら

[現在地名]氏家町押上

長久保ながくぼ新田の西、鬼怒川左岸に位置し、北部を市の堀いちのほり用水が東流する。村内を東西に会津西街道が通る。集落は鬼怒川河岸かけうえにあったが、同街道の開通によって寛文一〇年(一六七〇)に街道沿いに移転した。明暦二年(一六五六)に市の堀用水が完成すると、堰元村として水利についての権限と役務が特別に与えられた。

近世は初め宇都宮藩領、寛延二年(一七四九)下総佐倉藩領となり、明和元年(一七六四)上知されて再び宇都宮藩領となり幕末に至る。

押上村
おしあげむら

[現在地名]糸魚川市押上一―二丁目・南押上みなみおしあげ一―三丁目

糸魚川町東端にあるてら町の東にある漁村で、北陸道に沿う。砂をおびただしく押上げた浜による村名と思われるが、一説では一の宮いちのみやにある天津あまつ神社の祭神を押上げたためともいう。村内にある五輪石は、寺町下居おりいとともに天津神社の神輿の御旅所である。正保国絵図に高二七五石余とある。天和三年(一六八三)検地帳では高二二一石九斗余、うち塩高二三石五斗余で、家数五六、上塩場三二・中塩場八・下塩場一〇、塩屋二六軒とあり、西浜にしはま最大の塩場であった(糸魚川市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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