採銅所(読み)さいどうしよ

日本歴史地名大系 「採銅所」の解説

採銅所
さいどうしよ

平安時代からみえる銅鉱採掘施設。のちに施設名が地名に転訛し、江戸時代の採銅所村に継承された。「豊前国風土記」逸文(宇佐宮託宣集)に、田河郡鹿春かわら郷の北の峰(香春岳)のうち、第二の峰は銅・黄楊・龍骨などを産するとみえる。鹿春郷は現採銅所のすぐ南西に比定され、奈良時代すでにこの地は銅を産出していた。同逸文には新羅国神が渡来して鹿春神となったとあり、大宝二年(七〇二)の豊前国関係の戸籍(正倉院文書/大日本古文書(編年)一)には渡来人系の姓の住民が多くみえるので、銅の採掘・精錬にも渡来系の技術が用いられたと推測される。

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改訂新版 世界大百科事典 「採銅所」の意味・わかりやすい解説

採銅所 (さいどうしょ)

奈良・平安時代に主として鋳銭用の銅・鉛を採掘するため,産地に設けた官営の機関。長官採銅使で9世紀後期に長門国採銅使海部男種麿,備中国採銅使弓削秋佐の名がみえ,秋佐はのち長門国採銅使と鋳銭司判官を兼任している。採銅所には使の下に銅手あるいは銅工(製錬工),掘穴手(坑夫)が所属し,また郡中の徭夫を徴集し,銅・鉛を採掘製錬した。採銅所の所在国および近隣諸国より租庸などの一部として供与される料米をもって経費にあてた。平安時代は長門が銅の主産地となったが,10世紀中ごろ藤原純友の乱で同国採銅所への年料物供与が絶え,また当時唯一の周防の鋳銭司も焼亡し,採銅所,鋳銭司ともに壊滅的打撃をうけた。平安時代後期より鎌倉時代にかけ知られる産銅地は摂津能勢郡で,ここに採銅所が置かれ,備進の銅は伊勢両所大神宮二十年遷宮神宝用途料などに充当された。採銅所は壬生(みぶ)家(官務家)渡領となり,荘園制的に運営された。
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百科事典マイペディア 「採銅所」の意味・わかりやすい解説

採銅所【さいどうしょ】

古代に鋳銭用の銅・鉛を採掘・精練するため現地に置かれた機関。9世紀後期に長官である採銅使の名がみえる。当時は長門・備中・豊前など,平安時代には長門国が主産地となった。平安後期には摂津能勢(のせ)郡が産銅所として知られ,11世紀中頃までに採銅所が設けられた。奉行の預(あずかり),権預(ごんのあずかり)・案主(あんじゅ)・預目代などが管理運営にあたった。銅・紺青・緑青朝廷に貢進するほか,伊勢両所大神宮の二十年遷宮の神宝用途料に充てられた。中世には荘園領主化して小槻(おずき)家(のち壬生家)が知行し,官務(かんむ)家渡領として相伝された。

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