デジタル大辞泉
「空」の意味・読み・例文・類語
うつお〔うつほ〕【▽ 空/▽ 虚/▽ 洞】
1 中がからになっていること。また、そのようなもの。うつろ。うろ。 「この唐櫃 からびつ をこそ心にくく思ひつれども、これも―にて物なかりけり」〈今昔 ・二九・一二〉2 岩や樹木にできた空洞。ほら穴。 「いかめしき牝熊、牡熊、子生み連れてすむ―なりけり」〈宇津保 ・俊蔭〉3 上着だけで、下に重ねるべき衣類を着用しないこと。 「短き衣―にほうかぶって、帯もせず」〈平家 ・八〉4 葱 ねぎ をいう女房詞 。 [補説]発音は、古くは「ウツホ」、その後「ウツヲ」「ウツオ」と変化したという。また、「ウツボ」と濁音にも発音されたらしい。
うつせ【▽ 空/▽ 虚】
1 貝殻。うつせがい。 「いかなる様にて、いづれの底の―にまじりけむ」〈源 ・蜻蛉〉2 中身のないこと。から。空虚。 「手を通さねば便なき袖は―のうちかけ姿」〈浄・聖徳太子 〉
むな【▽ 空/▽ 虚】
[語素] 名詞の上に付いて、何もない、空虚である、の意を表す。「―手」「―言 むなごと 」
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そら【空・虚】
[ 1 ] 〘 名詞 〙 [ 一 ] 空間・場所・位置などの上の方をいう。① 地上の上方で、神の世界と想像した天より下の空間。虚空。中天。転じて、地上の上方に広がる空間全体をさしていう。古くは、「あめ(天)」が天上の神々の生活する世界を想定しているのに対して、より現実的な空間をいうと考えられる。[初出の実例]「浅小竹原(あさじのはら) 腰泥(なづ) む 蘇良(ソラ) は行かず 足よ行くな」(出典:古事記(712)中・歌謡) ② ① の様子。天候や、時に寒暖などの気候をあらわすものとして用いる。空模様。時節。→そらの色 ・そらの乱れ 。[初出の実例]「おほかたの秋のそらだにわびしきに物思ひそふる君にもある哉〈右近〉」(出典:後撰和歌集(951‐953頃)秋下・四二三) ③ ある物の上部、高い所をさしていう。(イ) 屋根・天井・梢(こずえ) などの高い所をいう。[初出の実例]「屋(や) のそらところどころ朽(く) ちあきたりしかう、月の光にしらてゐ給へりしほどを見つけ給へりしこと」(出典:宇津保物語(970‐999頃)楼上上) (ロ) 物の表面。[初出の実例]「母江沼臣族西田女年伍拾捌 正女 右手蘇良灸」(出典:正倉院文書‐天平一二年(740)越前国江沼郡山背郷計帳) (ハ) 上手(かみて) 。上座(かみざ・じょうざ) 。[初出の実例]「そしてがいに、あとへさがりやることよ。もっとそらへつん出なさろ」(出典:滑稽本・東海道中膝栗毛(1802‐09)二) (ニ) ( 「くびより空」の形で ) 首から上だけで真心がこもっていないこと。[初出の実例]「御身がなみだのこぼれやうは〈略〉、くびよりそらの、よろこびなきとみてあるぞ」(出典:説経節・さんせう太夫(与七郎正本)(1640頃)中) ④ 方角。場所。また、境遇。心境。本拠たるべき地を離れて、異なる境遇に身を置いていることを示すとともに、その境遇や心境などが不安定で、心配・悲しみ・憂いに満ちたさまであることをも含める。→そらがない 。[初出の実例]「旅のそらに助け給ふべき人もなき所に」(出典:竹取物語(9C末‐10C初)) ⑤ ( ④ から転じて ) 物事の途中。中途。[初出の実例]「思ひは陸奥に、恋は駿河に通ふ也、見初(そ) めざりせばなかなかに、そらに忘れて已(や) みなまし」(出典:梁塵秘抄 (1179頃)二) [ 二 ] 比喩的に、精神状態などについて用いる。① ( 形動 ) 心が空虚であること。また、そのさま。魂が抜けたようで、しっかりした意識のないこと。また、そのさま。うつろ。うわのそら。[初出の実例]「たもとほり往箕(ゆきみ) の里に妹を置きて心空(そら) なり土は踏めども」(出典:万葉集(8C後)一一・二五四一) 「目はそらにて、ただおはしますをのみ見たてまつれば」(出典:枕草子(10C終)二三) ② ( 形動 ) 明確な基準・根拠・原因・理由などがないことをあらわす。多く、助詞「に」を伴って、副詞的に用いる。(イ) はっきりした原因や意図のないこと。また、そのさま。偶然。自然。[初出の実例]「此を聞て貴しと思ひ成て礼拝し奉る時に、頭(かしら) の髪空に落て羅漢と成ぬ」(出典:今昔物語集 (1120頃か)一) (ロ) これという理由のないこと。また、そのさま。[初出の実例]「そらにいでて何処(いづく) ともなく尋ぬれば雲とは花の見ゆる成けり」(出典:山家集 (12C後)上) (ハ) 根拠が不確実であること。また、そのさま。[初出の実例]「富士の山を見れば、都にて空に聞きししるしに、半天にかかりて群山に越えたり」(出典:海道記(1223頃)蒲原より木瀬川) (ニ) 足もとがおぼつかないこと。また、そのさま。[初出の実例]「足をそらにてまどひ倒れて」(出典:落窪物語(10C後)二) (ホ) 特に、「知る」などを修飾して、とりたてて意図したり教えられたりせず、自然に推量して知ることをいう。→そらに知る 。[初出の実例]「闇(ソラ) に君が心を測り、閑かに独り語る」(出典:白氏文集天永四年点(1113)三) (ヘ) 助詞「に」(後には「で」)を伴い、「読む」「覚える」などの語を修飾して、文字を見ることなく記憶に頼るだけであることをいう。[初出の実例]「七歳よりさきに法華経八巻花厳経八十巻をみなそらによむ」(出典:観智院本三宝絵(984)中) ③ うそ。いつわり。→そらを使う ・そら吐(つ)く 。[初出の実例]「『お前だっておらと盃事した時にゃ俯向いとったでねえか』『空(ソラ) 云ふでねえよ』」(出典:人さまざま(1921)〈正宗白鳥 〉) ④ 心。気持。下に否定の表現を伴って、その行為に伴う不安な心境やうつろな心を表わす。または、その行為や方角・場所などにむかう漠然とした意志などをさす。[初出の実例]「悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆く蘇良(ソラ) 安けなくに 思ふ蘇良(ソラ) 苦しきものを あしひきの 山き隔(へな) りて」(出典:万葉集(8C後)一七・三九六九) 「御あり様を見をき奉るに、行べき空も覚えず」(出典:平家物語(13C前)三) [ 2 ] 〘 造語要素 〙 主として名詞、その他の語の上に付いて、実体のないことである意などを示す。① 実体のないもの、間違ったことなどの意を表わす。「そらね(空音)」「そらめ(空目)」「そらみみ(空耳)」など。② 本心はそうでなく、うわべだけであることを表わす。「そらごと(空言)」「そらなさけ(空情)」「そらね(空寝)」「そらなき(空泣)」など。③ かいがない、無駄であるの意を表わす。「そらだのめ(空頼)」など。④ いいかげんである、でたらめであることを表わす。「そらうた(空歌)」「そらのみこみ(空飲込 )」など。⑤ 自然に、の意を表わす。「そらおぼえ(空覚)」「そらどけ(空解)」など。⑥ 名詞、または動詞の上に付いて、わざと、承知の上で、の意を表わす。「そらとぼけ(空惚)」「そらとぼける(空惚)」など。[ 3 ] 〘 接頭語 〙 ① 動詞の上に付いて、むやみに、やたらに、の意を表わす。「そらからくる(空絡繰)」「そらうそぶく(空嘯)」「そらっぷく(空吹)」など。② 形容詞の上に付いて、はっきりした結果、または事情は不明であるが、その気持のはなはだしいことを表わす。「そらおそろしい(空恐)」「そらはずかし(空恥)」など。空の語誌 ( 1 ) ( [ 一 ] [ 二 ] について ) 形容動詞的用法は、中古和文では、特に、男性から女性への恋愛情緒を表わす場面に多く見られ「心そらなり」の形で使われている。あることに心がとらわれ、目の前のことに気持が向かないことを意味し、現代語の「うわのそら」に類似する。( 2 ) ( [ 二 ] [ 三 ] について ) 「そら」は、広い空間であり、実体として把握しづらいものであるところから、「実」に対する「虚」の意味になり、質を伴わない、表向きだけである等の意となる。[ 三 ] ② の用法も、そこから生じたと考えられる。
うつおうつほ 【空・虚・洞】
〘 名詞 〙 ① 中がからであること。中がからになっているところ。中がからなもの。うつろ。うろ。[初出の実例]「この唐樻(からひつ) をこそ心(にく) く思ひつれども、此も空にて物无かりけり」(出典:今昔物語集(1120頃か)二九) ② 岩や朽木などの空洞。ほら穴。また、岩や木などが組み合わさって、ほら穴のようになっている所。→空木(うつおぎ) 。〔十巻本和名抄(934頃)〕[初出の実例]「大きなる木のうつほに、手負をばかくして」(出典:梵舜本沙石集(1283)二) ③ 上着だけで、下に重ねるべき着物を着ないこと。下着を重ねないこと。[初出の実例]「山吹の袿(うちぎ) の、袖口いたくすすけたるを、うつほにてうちかけ給へり」(出典:源氏物語 (1001‐14頃)玉鬘) ④ ( 「うつおぐさ(空草) 」の略 ) ネギをいう女房詞。〔海人藻芥(1420)〕⑤ ( 形動 ) 衰えて弱々しいこと。また、そのさま。[初出の実例]「Vtçuuona(ウツヲナ) ミャク」(出典:日葡辞書 (1603‐04)) 空の語誌 ( 1 ) 元来ウツホと発音されていたが、ハ行転呼音が一般化した一一世紀半ば以降はウツヲとなる。( 2 ) 鎌倉時代 から「うつほ」とほぼ同じ意味で使用され始めた「うつろ」が、口語として徐々に広く用いられるようになり、「うつほ」は、主として擬古的な文章の中に見られる文語となった。( 3 ) 「うつほ」が古語となり、読み方が忘れられ、矢の容器の「空穂(うつぼ) 」との混同も起こって、「うつぼばしら」「うつぼぶね」などのように、第三拍を濁音化する例も見られるようになる。
くう【空】
〘 名詞 〙 ① 天と地の間。そら。空間。虚空(こくう) 。[初出の実例]「天龍の中の瀬は、馬人足を空にまとふ」(出典:俳諧・本朝文選(1706)三・賦類・旅賦〈許六〉) [その他の文献]〔王維‐送秘書晁監還日本国詩〕 ② うつろ。から。空虚。[初出の実例]「死しての後空と成りて何もなき所そと心得て」(出典:猿法語(1761)一心法界といふ弁) [その他の文献]〔後漢書‐陳蕃伝〕 ③ ( 形動 ) 事実でないこと。根拠のないこと。[初出の実例]「決して自己弁護の空(クウ) な言草ぢゃアない。立派にほんとのことなんだ」(出典:今年竹(1919‐27)〈里見弴〉あやめの客) ④ ( 形動 ) 無益なこと。無意味なこと。むだ。[初出の実例]「惜歳月を空に送らしゃれては生れながら知事が成ませふか」(出典:隣語大方(18C後)三) 「惚れた男の名所も聞かず、頼みは目尻の黒子一つ、思へば空(クウ) な尋ねもの」(出典:歌舞伎・𢅻雑石尊贐(1823)序幕) ⑤ 仏語。天地間の一切の事物はすべて因縁より起こるものであってその実体も自性もないとする考え。二空、三空など、さまざまに数える。空裏(くうり) 。[初出の実例]「見二 身実相皆不浄一 、即是観二 於空無我一 」(出典:往生要集 (984‐985)大文一) 「善も悪も空(くう) なりと観ずるが、まさしく仏の御心にあひかなふ事にて候也」(出典:平家物語 (13C前)一一)
から【空・虚】
[ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 「から(殻)」と同語源 )① 内部に本来ならあるべき物が、ないこと。中が充実していないこと。うつろ。[初出の実例]「空虚(カラ) になった菰被樽(こもかぶり) 」(出典:当世書生気質 (1885‐86)〈坪内逍遙 〉一) ② 何も携帯していないこと。てぶら。③ 乗り物などで、客を乗せていないこと。空車。[初出の実例]「めして御され五条あたりの 月〈友雪〉 とうしてからてかへる雁金〈満平〉」(出典:俳諧・飛梅千句(1679)賦何公誹諧) 「もう一両の立になったから軽車(カラ) でけへらうとすると」(出典:安愚楽鍋(1871‐72)〈仮名垣魯文 〉二) [ 2 ] 〘 接頭語 〙 ( 名詞に付いて )① 何も持っていないこと、また、他のものを伴わないことの意を表わす。「から手」「から脛(すね) 」② 実質的なものの伴わないこと、また、伴うはずのものが伴わないことの意を表わす。「から元気」「から威張り」「から世辞」「から手水(ちょうず) 」「から荼毘(だび) 」など。
うつせ【空・虚】
〘 名詞 〙 ① 「うつせがい(空貝) ① 」の略。[初出の実例]「からをだに尋ねず、あさましくてもやみぬるかな。いかなる様にて、いづれの底のうつせにまじりけむ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)蜻蛉) ② 空虚。から。[初出の実例]「手を通さねば便なき袖はうつせのうちかけ姿」(出典:浄瑠璃・聖徳太子絵伝記(1717)三)
むな【空・虚】
〘 造語要素 〙 内容のないさま、からっぽであるさま、むなしいさまを表わす。「むなしい」の形で用いられるほか、名詞と熟して用いられる。「むな手」「むなごと」「むな車」「むなばせ」など。
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空(くう) くう
サンスクリット語 のシューンヤśūnya(śūnyatā)の訳語。原語はもともと数の0(ゼロ)を表す。たとえば、1から1を引いて0というのは無を示し、また10というのは、1位の数の無を表すが、同時に1が10位にあること(有)を示す。後者の意味でのゼロは、したがって単なる無ではなくて、実は10位を支えている。さらに、本来このような位取りそのものが、ゼロという数の発見によって初めて可能なのであり、その発見はインド人(人名不詳)による。同時に空の思想もまたインド人の独創であるが、いわゆるインド正統派哲学では無ないし非存在についての詳しい考察はあっても、空はほとんど顧みられず、それを推進したのはもっぱら仏教であった。
空は「から」という訓に示されるように、そこに占めるものの欠如をいうが、「から」であることがかえって有用性を発揮する。たとえば、コップは内部がから のために水を入れうる。いわば欠如は消極的にも積極的にもある意義をもっている。仏教で最初に空を説いた際には、この欠如をさして、たとえば、「講堂に象馬などは空」といい、かつ「そこに比丘(びく)はいる」という。すなわちAは欠如し、逆にBは残る。ここに「残るもの」への指向を空は示唆する。こうして、いわゆる「空の観法(かんぼう)」が成立し一種の修行の途(みち)となる。それは、むしろ積極的に、ある目標だけを「残るもの」として集中専念し、その他のいっさいを欠如として否定する。この目標を徐々に向上させていくことにより、悟りに近づこうとする。これとは別に、原始仏教 には無我が強調され、煩悩(ぼんのう)や我執(がしゅう)などからの離脱をとくに掲げた。
やがて部派仏教に移り、法(ダルマ)に関する教理の固定化とともに、そのうちの保守派(とくに説一切有部(せついっさいうぶ)、略して有部)は、種々に区分されたあまたの法(有部は75法)をそれ自体で存在する実体としてたて、ここに「法の有(う)」が主張される。この考えは、実はわれわれの日常的な考えを結晶させたものといってもよく、かつそれによって実践の目標や過程も明示されるところがある。それを覆(くつがえ)すのが空であって、存在するいっさいのものから、その自体を奪い、さらに実体を厳しく否定して、すべてを「から」にするよう、空は強力に働く。そこには無我説 の復活もあり、こうして空によって、法を含むあらゆる存在から自体や実体は消され、我執などのとらわれもすべてなくなる。有名な「色即是空(しきそくぜくう)」の句は、色や形をもつ客観的対象が「独立の実体」としては存在せず、すなわち空であると説き、さらにそれは「空即是色(くうそくぜしき)」と続いて、実体を否定してとらわれない空によってこそ、諸対象がそれぞれの局面にその対象として存在しうることを示す。その客観的対象から、主体すなわち「受想行識(じゅそうぎょうしき)」についても、同文の空が反復されて、同一の主張がなされる。これは思想史的には、有部への批判として、大乗仏教 の先駆を果たした『般若経(はんにゃきょう)』のなかに、一種の否定的色彩の濃い空が繰り返し説かれた。空の論理的基礎づけはその後に初期大乗仏教を確立し定着させたナーガールジュナ Nāgārjuna(龍樹(りゅうじゅ)、150ころ―250ころ)によって完成される。彼は、すでに原始仏教以来説かれていた縁起説をいっそう深く徹底させ、いっさいの存在が互いに相依・相関しあっており、その際それぞれがおのおのに否定と肯定とを含み、矛盾しつつ相即していることを明らかにした。こうして実体はまったく無となって空が輝く(これを縁起―無自性(しょう)―空という)と同時に、その空にとらわれることも空として否定される(空亦復(やくぶ)空)。こうして真の自由は達せられるが、これをわかりやすくいえば、煩悩・執着(しゅうじゃく)・凡夫にせよ、解脱(げだつ)・ニルバーナ (涅槃(ねはん))・如来(にょらい)にせよ、それらを実体として固定させず、凡夫もその煩悩を粉砕して、聖なるものに近づく途が開拓された。なお、上述の「空―残るもの」の説は、後の中期大乗仏教において、その唯識(ゆいしき)説でふたたび論議された例もある。
[三枝充悳]
『仏教思想研究会編『空』全2巻(1981、82・平楽寺書店)』 ▽『三枝充悳著『中論 縁起・空・中の思想』全3巻(第三文明社・レグルス文庫)』
空(そら) そら sky
戸外で仰ぐときに目に入る地物・海洋・生物・天体以外の部分を、空といっている。天空ともいう。
雲は、空の一部をなすものであるか、それとも空に浮かぶだけの存在なのか、にわかには定めがたいが、気象観測 においては「空の状態」を、雲のありようによって区別している。これは国際的な定めである。国内および国際的に交換する気象電報 には、この空の状態をかならず含めることになっている。
[平塚和夫]
空の状態は、全部で30通りに分類されている。
雲の基本形は10であるが、空の状態においては、さらにこれら各基本形の種、変種などを見分け、かつ、異なるものの共存をも考慮することになっている。そして、雲底が、(1)比較的低い層にあるもの、(2)中層にあるもの、(3)比較的高い上層にあるもの、についてそれぞれ九通りずつに分類し、それにそれぞれの層に雲のない場合を加えて、全部で30通りに分類するのである。
この国際的分類とは別に、気象観測においては、すべての雲によって覆われている部分の全天空に対する割合、つまり全雲量によって天気を分類することがある。これは、全雲量が(1)1以下の場合を快晴、(2)2以上8以下を晴、(3)9以上の場合は、見かけ上の最多雲量が巻雲(けんうん)・巻積雲・巻層雲およびこれらの組合せによる場合を薄曇、その他の雲による場合を曇、とする分類法である。
これらの気象観測上の分類以外にも、一般に人々は「空模様」ということばで、そのときの天気のようすを表現している。これには、まったく雲のない状態からどしゃ降りまでのすべての場合が含まれている。生活感覚的には、空と雲とは密接不離の関係にある、といってよい。
[平塚和夫]
太陽光線のなかの波長の短い青色系の部分は、空中を進むときに空気の分子に当たって散乱される。波長の長い赤色系の部分は、空中に大きな水滴やちりなどがない限りは、そのまま散乱されずにほぼまっすぐに進む。晴天の日中に空が青く見えるのは、おもに青色系の散乱された部分が目に入るからである。
朝や夕方には、日光は、空気の層を進む距離が日中に比べて長くなり(空気の厚い層を進むこととなり)、青色系の部分は途中で散乱されてしまい、赤色系の部分だけがとくに目に入りやすくなる。朝焼け、夕焼けは、このようにしておこる。
晴天の日の青、朝夕の焼けの赤のほかにも、空が色づくことがある。雲の一部分が色づき、雲の動きにつれて染まった部分も動くことがある。これを彩雲といい、高積雲に現れやすい。また光冠といって、高積雲などを通して太陽や月を見た場合に、太陽や月の周りが色づいている現象がある。これらは、雲の水滴に当たった太陽や月の光線が各色に分かれるためである。また別に、太陽や月を中心として描いた輪が、巻層雲に現れることがあり、これを日の暈(かさ)、月の暈という。巻層雲の氷粒が光を屈折させた結果である。
このほか、煤塵(ばいじん)や煤煙によって空の一部が黒灰色に染まることがある。大気汚染 の一つである。石炭多用時代にはこのような汚染が多かったが、石油消費量の増加とともに、空が染まる型から光化学反応の型へと移ってきた傾向がある。
[平塚和夫]
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空 (そら) sky
目次 空の形 空の色 空の状態 気象学的には地上にいる人の目に見える範囲を空とよぶ。
空の形 われわれは空を地平面 で区切られた半球だと思っているが,実は押しつぶした丸天井または鏡餅のように,いくらか扁平に知覚しているらしい。人間が地平線 から高度45度と思う所を高度計 で測ってみると,35度ぐらいしかない。また太陽や月が地平線に近いときには特に大きく見えることから,人は天空を市女笠(いちめがさ)のような形に知覚していると主張する心理学者もある。
空の色 晴天の空は青く見えるのがふつうであるが,これは太陽光が地球の大気に入り,そこにある空気分子に当たって,入射光の方向とはちがう方向に散乱されたものが目に入るときに,青の光が主になるからである。散乱現象は散乱される光の波長と,散乱をおこす粒子の大きさに関係する。散乱現象については有名なレーリーの法則というのがある。これは光の波長に比べて粒子が小さい場合に適用されるもので,散乱光の強さは入射光の波長の4乗に逆比例するのである。太陽光の中には赤から紫までの波長の光が含まれているが,赤の波長は紫の2倍ぐらいはあるから,散乱光の中の波長の長い方,すなわち赤に近い色の光はずっと弱くなる。それで空の色は青く見えるのである。日の出,日没のときの朝焼け,夕焼けの空の色も同じ法則で説明できる。
空気中に汚染物質,塵埃(じんあい ),凝結核,微小水滴などが多くなったときの散乱現象についてはミーMieの散乱則(この現象を研究した学者の名前による)がある。それによると,これら粒子の大きさが,光の波長に比べてずっと大きいときは,散乱光の強さは光の波長に無関係になる。霧粒や雲粒の粒子は,光の波長よりずっと大きいから,霧や雲に光が当たると白く見える。また大気中に浮遊する細塵や微水滴なども,その数が多くなると空の青い色は薄くなって白っぽくなる。また粒子の大きさがこれらの間にあるときは,散乱光の強さは波長の0乗から4乗に逆比例するという。0乗は1で,波長に無関係であり,これは今説明したとおりである。4乗は微小粒子の場合で,レーリーの法則で表現されている。
ジェット機 で10kmまたはそれ以上の高空を飛ぶときによく経験するが,空は黒ずんだ紫色に見える。これは上記のレーリー散乱を考えればよく理解できる。また1961年に最初の人間衛星が飛んだとき,飛行士が〈地球は青かった〉といったと伝えられているし,また宇宙空間から見た青い地球の写真も撮られている。
空の状態 低気圧などが近づいてくるときには,その前面,中心域,側面,後面で,それぞれ特徴のある雲の分布が見られる。それで雲を観測する場合に,上,中,下層の雲の状態を30種に分けて見るやり方がある。これを〈空の状態〉あるいは〈雲の状態〉という。 執筆者:畠山 久尚
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空【そら】
太陽光線は地表に到達するまでにその一部が空気分子などによって散乱 し,短い波長の色光は長いものより散乱する割合が大きい。このため細塵(さいじん)が少なく,晴天の時には空が青く見える。粒子の大きい細塵層を通過すると波長の長い赤まで散乱して,白く見える。日出・日没時には,やはり光の散乱の関係で朝焼け ,夕焼け が見られる。宇宙空間では太陽光線を散乱させる空気分子がないので,空は暗黒である。気象観測においては,空に現れている雲の状態を総合的にみてその特徴をとらえ,〈空の状態〉を定義し,これを天気図解析に役だてる。これは上層,中層,下層の状態に大別され,それぞれ10種に細分してある。
空【くう】
仏教の根本概念。原始仏教では瞑想(めいそう)の対象。《般若経》では悟りに達するために,すべての存在を〈空〉と観じ,執着を離れることを内容とする。それは自性空(じしょうくう)と呼ばれ,すべての存在自身固定的存在でないことを意味する。竜樹 によれば自性空なるゆえに,存在は縁起 による。 →関連項目僧肇 |大乗仏教
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空 くう śūnya; śūnyatā
仏教用語。すべての存在は,直接原因,間接原因によって成立したもので,存在にはその本質となるべきものがないと説き,これを空という。この思想は特に般若経典に多く説かれ,また,ナーガールジュナ (龍樹,150頃~250頃) によって体系化された。彼によると,この世のすべてのものは,本質的に空である (真諦) が,それを相対的な日常的立場からは存在とみる (俗諦) 。彼の思想は,その弟子アーリヤデーバ (提婆) に継承され,やがて中国,日本に伝えられ,三論宗となった。
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空〔曲名〕
日本のポピュラー音楽。歌は女性シンガーソングライター、五輪(いつわ)真弓。1986年発売。
空〔詩集〕
岩瀬正雄による詩集。1999年刊行(須永書房)。2000年、第18回日本現代詩人賞を受賞。
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空 (ウツボ)
植物。ユリ科の多年草,園芸植物,薬用植物。ネギの別称
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世界大百科事典(旧版)内の 空の言及
【縁起】より
…此滅するが故に彼滅す〉と規定される。すなわちあらゆる事象は事象間の相互関係の上に成立するから,不変的・固定的実体というべきものは何一つないという仏教の〈無我anātman〉あるいは〈空śūnya〉の思想を理論的に裏づけるのがこの縁起観である。釈尊は当時のバラモン教の有我説に反対して無我を主張したが,その根拠として〈十二支縁起([十二因縁])〉説を唱えた。…
【空観】より
…すべての事物は〈空(くう)〉であると観ずる仏教の観法。〈空〉とはサンスクリットでシューニヤśūnya(形容詞)といい,一般にはあるものに他のものがないとき,前者は後者について空であると表現する。…
【金剛般若経】より
…内容は,祇園精舎における仏と須菩提(しゆぼだい)(スブーティSubhūti)の対話という形式で,般若思想の根幹を簡潔に説く。本経には〈空〉という術語は用いられていないが,その思想は〈空〉の思想といってよく,原始仏教以来追求されてきた種々の宗教的価値が固定化され,執着されることを否定し,否定を通して,より高い次元に宗教的価値を実現しようとしている。本経は,インドでは瑜伽行派によって,中国では禅宗において重んじられた。…
【大乗仏教】より
…注目すべきは,〈この経典の四行詩でも,受持・読誦(どくじゆ)・解説(げせつ)し,さらに書写すれば非常な功徳がある〉という旧仏典には見られなかった〈経典崇拝〉を強く打ち出していることである。 大乗仏教の基本的理念は,〈慈悲〉に裏打ちされた〈空(くう)〉――理論的には,あらゆるものはそれ自体の固有の実体をもたない〈無自性〉なるものであり,それゆえ実践的には,なにものにもとらわれない心で行動する〈無執着〉であれ――の立場にあるといわれる。また仏に絶対的に帰依し,かつ自己のうちに仏となりうる可能性(仏性)を認め,それを体現することを彼らは目ざした。…
【ニヒリズム】より
…つまり,ベーダ聖典を権威と認めない宗教思想を指しているのである。もう一つは仏教の〈空〉の思想である。これは,いわゆる概念的な思考(言葉)によって理解されているものごとは,ありのままの真実ではないということを主張するものであるが,ヒンドゥー教徒などからは,いっさいのものごとの存在を認めない虚無主義と曲解されたのである。…
【バナナ】より
…アジャンターの壁画には,宮殿の庭などに果樹,薬用植物,観賞植物に交じってバナナの木が植えられているのがみられる。また仏典には,バナナは葉鞘(ようしよう)が重なり合って茎を形成しているので,葉をむいていくと茎は無くなってしまうという性質に基づき,存在しているように思われるものも実体はない〈空〉なのだと説くための比喩として,〈芭蕉のごとく〉とする常套(じようとう)句もみられる。一方,《大唐西域記》の記事には,貴人の食卓に供された豪華な料理の一つに,チーズなどとともに砂糖を入れた牛乳でバナナを煮たデザートが記録されている。…
【無】より
…それは存在者の総体(近代的にいえば対象一般)に関する学であり,〈存在者はあり,無はない〉,あるいは〈無からは何も生じないex nihilo fit nihil〉という考え方に支配されてきた。したがって,深淵あるいは空虚([真空])としての無に対する強い恐怖心はあったものの,現代においてニヒリズムが顕在化するまでは,無は概して存在者一般との関係において問題とされるにとどまり,それ自体として主題化されることはなかった。 カントが《純粋理性批判》の分析論の末尾で範疇表に即して提示している無の分類もまた,対象一般という概念との関係におけるものである。…
【無我説】より
…苦であるから無我である〉という論理で,あるいは〈あらゆる存在は因と縁とにより生じたものであるから無我である〉という縁起説の立場より否定した。大乗になって,無我は空(くう)(シューニヤśunya)という語によって表現された。また人無我(生命的存在の非実体)と法無我(事物的存在の非実体)とが唱えられ,小乗は人無我のみを主張するのに対し,大乗は人法二無我を主張した。…
【竜樹】より
…南インドのバラモン出身で,若くしていっさいの学問に通じ,隠身の術により後宮に入って快楽を尽くしたが,欲望は苦の原因であると悟って出家したと《竜樹菩薩伝》に伝えられている。彼は,大乗仏教の基盤であり,〈般若経〉で強調された,〈空〉の思想を哲学的に基礎づけ,後世の仏教思想全般に決定的影響を与えた。これを評価して,中国や日本では〈八宗の祖師〉と仰がれている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」