大明寺(読み)だいみようじ

日本歴史地名大系 「大明寺」の解説

大明寺
だいみようじ

[現在地名]生野町黒川

臨済宗妙心寺派。山号は雲頂山。本尊釈迦如来。貞治六年(一三六七)臨済宗大応派の禅僧月庵宗光の開基。宗光は美濃の人。美濃遠山とおやま大円だいえん寺の開山南浦紹明(大応国師)の法嗣峰翁祖一に師事して出家、その後多くの禅僧に学び中国にも留学したあと、峰翁の嫡嗣で伊予国宗昌そうしよう(現愛媛県北条市)の大虫宗岑の法を継いだ。山居を好んだ月庵は、貞治六年山陰から黒川くろがわに来ってその幽を愛し、粗末な茅屋を構えて隠棲しようとした。しかし月庵を慕って多くの僧徒らが集まり、月庵もまたこれを拒まず、ついに寺となった(大明禅寺開山月庵和尚行実)


大明寺
だいみようじ

[現在地名]横須賀市衣笠栄町三丁目

日蓮宗、金谷山と号し、本尊は釈迦如来。建長五年(一二五三)石渡左衛門が日蓮に請うて建てた深田ふかだ米が浜よねがはま道場御浦法華堂(現竜本寺)を、左衛門の孫日栄が現在地に移して大妙寺と称したという(横須賀市史稿)。開山を日蓮、開基を石渡左衛門とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「大明寺」の意味・わかりやすい解説

大明寺 (たいめいじ)
Dà míng sì

中国,江蘇省揚州市の北西郊にある寺院。南朝宋の大明年間(457-464)に開かれたので大明寺と称したが,のちに法浄寺と改めた。渡海前の鑑真が住持であった寺で,境内には清代に復興された天王殿や大雄宝殿等の伽藍のほか,1963年に鑑真和上遷化1200年記念として唐招提寺金堂を模して建てられた唐代様式鑑真紀念堂がある。80年4月,鑑真像の里帰りを記念して,鑑真在住当時の寺名の大明寺に復した。
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世界の観光地名がわかる事典 「大明寺」の解説

だいめいじ【大明寺】

中国の江蘇(こうそ)省揚州市、蜀崗(しょくこう)の中峰にある、鑑真(がんじん)和尚が居住した揚州随一の寺。寺の正門には四大天王や弥勒仏韋駄天が祀られ、中国の禅寺によくある様式に沿っている。境内の大雄宝殿の東側後方には晴空閣があり、内部は鑑真和尚に関する資料陳列室になっていて、鑑真和尚の木像(日本の国宝レプリカ)と鑑真和尚の時代の渡航船の模型などが飾られている。また、鑑真学院もある。紀念堂や塔楼は鑑真和尚が奈良の唐招提寺で設計したものを模して復元している。

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