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中国古代の伝説的な王朝,夏王朝の初代の君主。尭・舜とならんで太古の聖王とされる。姓は姒(じ),名は文明。西方の異民族の出身だともされる。元来は,太古の大洪水を治めて天下に秩序を与えた文化英雄の一人であったと考えられるが,《尚書(書経)》夏書や《史記》夏本紀などは,歴史化された禹の伝記を載せる。それによれば,尭帝の時代に大洪水がおこり,禹の父の(こん)が治水にあたって失敗する。尭のあとを継いだ舜帝は,かわって禹に治水を命じた。禹は益(えき)や后稷(こうしよく)などの部下とともに天下を経めぐって水を導き,農業などの産業を整備した。このときの記録が《尚書》禹貢篇に編まれたとされる。治水にあたって,衣食を粗末にし,身を粉にして働いたことが,禹の徳行として称賛される。天下が安定すると,舜帝から禅譲を受け,禹は平陽に都を定めて夏王朝を開いた。禹の伝説には,塗山で妻をめとったり,会稽山に諸侯を集めたりしたなど,長江(揚子江)下流域に結びついたものが多いが,南北朝期の江南の道教のなかにも,道教化した禹の姿を見ることができる。
執筆者:小南 一郎
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中国、夏(か)王朝の始祖とされる人物。中国に大洪水が起こったとき、鯀(こん)の失敗の後を受けて、その子の禹が治水に成功し、その功によって帝舜(しゅん)から天子の位を譲られた、と『史記』夏本紀などは伝える。『尚書(しょうしょ)』(書経)禹貢篇(うこうへん)には、禹が中国全土を9州に分け、それぞれの土地に適した貢納品を定めたという記事があるが、これは後世戦国時代ごろの状況を禹の時代に仮託したものであろう。堯(ぎょう)から舜へ、舜から禹へと天子の位が禅譲(ぜんじょう)されたという説話も、このころできあがったらしい。戦国初期の墨子(ぼくし)は、家族を顧みず治水に奔走した禹の勤勉さや質素な生活態度に、深い敬意を払っており、現在でも中国各地に禹の治水伝説にまつわる場所が存在している。
[小倉芳彦]
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伝説上の夏王朝の始祖。鯀(こん)の子。黄河の治水に成功し,舜(しゅん)に代わって帝位につき,夏を始めたといわれている。禹にまつわる伝説は,元来黄河中・下流域の古代農耕民族の所産とみられる。
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…中国,《書経》の篇名。夏の始祖とされる禹が,洪水を治め,河川の流路を整備し,全国を九州に分け,それぞれの地方の産物を水路によって国都冀州(きしゆう)(山西)に貢納させたことを簡明に叙述した一種の地理書。戦国時代の情勢をふまえ,統一帝国の夢を禹に仮託して作られたものとされ,内容の下限を漢まで下げる説もある。…
…中国古代の王朝名。始祖禹は黄帝の子孫といわれ,帝舜のとき,中国を襲った大洪水を,13年かけて治めることに成功し,舜から帝位を譲られ,夏后と称した。その死後,子孫が位を継ぎ,最初の世襲王朝となった。…
…最高峰は南部の東白山(1195m)だが,北へゆくほど低くなり海岸平野へ埋没し島嶼状につづく。伝説によれば,禹が全国を巡視した時,最後にここに江南の諸侯を会し,功績を評価して封爵を与えたという(苗山,茅山,防山などと称される)。会稽という名はこれによる。…
…顓頊(せんぎよく)ののちとされるが,顓頊は〈死して蘇(よみがえ)る〉神,すなわち洪水神で,魚形の神であったらしい。鯀は治水に失敗して放逐され,その子である禹(う)が大洪水を治めて夏(か)王朝をひらいた。禹も顓頊と同じように,偏枯(へんこ)にして魚形の神とされる。…
…城壁の内外にクリークが通じ,中国屈指の水の都として知られる。伝説によれば,禹(う)は全国の治水事業を終えたあと,諸侯をこの地に集め会計(会議)を行い,そのために会稽(計と稽は同音)と呼ばれるようになったという。これはこの地域が,治水の対象となるような中国世界の南端にあったことを意味する。…
…たとえば華夏と苗蛮,すなわち彩陶文化と屈家嶺文化の間には羌(きよう)系の勢力があり,その河漢の地には殷,のちには楚が進出してきて,その地の洪水説話は多様な様相を示している。禹(う)は夏系の洪水神である。その系列は顓頊(せんぎよく)にはじまり,鯀(こん)とその子禹につづくが,この3神の神像は魚,または人面魚身の神である。…
…つまり中国の思想史において道教という言葉(概念)を最初に用いているのは,〈儒者〉すなわち儒家の学者たちであり,次いでそれを批判是正する形で墨家すなわち墨子教団の学者たちがそれを用いていることである。そして,墨家のいわゆる真正の〈先王の道教〉とは,要するに夏王朝の禹王以来とされる上帝鬼神への敬虔な宗教的信仰,および祭祀祈禱その他の宗教儀礼の誠実な実践をその根幹とするものであり,儒家のいわゆる〈道教〉が似て非なるものときびしく批判されるのも,この宗教的な根幹を軽視もしくは無視していると見られたからであった。 中国先秦時代の儒者が彼らの奉ずる〈先王の道〉の教を〈道教〉とよんでいたという《墨子》の記述は,後の漢・魏の時代においても儒教を〈道教〉とよんでいる事例の幾つか見えていること,たとえば《尚書》湯誥篇の孔安国伝〈道教を安立す〉,《三国志》呉書の陸遜伝〈道教を熙(ひろ)め隆(さか)んにす〉など,からも裏づけられるが,儒家の自称する〈道教〉を似て非なるものときびしく批判する《墨子》と同じく彼らの道教を邪偽であると激しく攻撃しているのは,魏・晋の時代に成立して張魯の天師道教団の幹部教育用の講義録であろうと推定されている《老子想爾(そうじ)注》である。…
※「禹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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