日本大百科全書(ニッポニカ) 「揚州八怪」の意味・わかりやすい解説
揚州八怪
ようしゅうはっかい
中国、清(しん)代乾隆(けんりゅう)年間(1736~1795)に江蘇(こうそ)省揚州で活躍した8人のきわめて個性的な画家たちをいう。8人の名前は、金冬心(きんとうしん)、鄭燮(ていしょう)、李鱓(りぜん)、黄慎(こうしん)、羅聘(らへい)、李方膺(りほうよう)、汪子慎(おうししん)、高翔(こうしょう)であるが、高鳳翰(こうほうかん)、閔貞(びんてい)を入れる場合もある。この場合の「怪」とは「常ならぬもの」といった意味で、8人の画家もそれぞれ強烈な個性で独自の画風の絵を描き、互いの間に画風の共通性はない。しかし、山水を主題にしたものが少なく、花卉(かき)、人物などに題材をとったものが多く、また絵を描き始めた年齢もみな比較的遅かった、という点では共通する。
当時の揚州は、塩都として経済的繁栄を誇り、活況を呈していた。塩商の大部分が他郷からきた人々で、そのおかげで街に自由な雰囲気があふれていた。塩商は豪華な邸宅・庭園を営み、書画、骨董(こっとう)、書籍などを集めて文人、学者の鑑覧に供し、自らも詩文書画をたしなむ生活を送った。彼らの催す文雅の会には、文人、学者、画家が集まったが、揚州八怪の面々もこれに加わり、ときには彼らの庇護(ひご)を受けることもあった。塩商馬曰琯(ばえつかん)・馬曰璐(えつろ)兄弟の小玲瓏(れいろう)山館はその中心的存在として有名である。
[近藤秀実]